宝石はフェニックス

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「恋はフェニックス」という曲をご存知でしょうか?

古い歌なもんで大抵の方はご存じないでしょうな。なんせ年寄りが書いとるブログやさけ、昔話ばっかですまんこって。

この曲は1967年アメリカのカントリーシンガー、グレンキャンベルいう人が唄とて大ヒットした曲ですんや。ただし、私が知ったのは1971年「また逢う日まで」の大ヒットで一躍脚光を浴びた、もみあげも凛々しい歌手の尾崎紀世彦さんのアルバムに入っていたカバーヴァージョン。

昔は海外の曲や映画のタイトルもオリジナルのままやなく、新たに邦題をつけることが結構多かったようでございます。

例えば、ビートルズの”Ticket to Ride “は「涙の乗車券」 “You've Got to Hide Your Love Away” が「悲しみをぶっとばせ」。また映画では、古いところで”Love Is a Many-Splendored Thing” が「慕情」などと、より歌詞やストーリーの内容に寄り添ったような日本語の題を国内のオーディエンスに分かりやすいよう命名して、ひいてはより多くの売り上げを期待したんでっしゃろな。

ただし、この「恋はフェニックス」だけは歌の内容とはまったく見当違いの頓珍漢なタイトル。当時のレコード会社の担当がええ加減に付けたに違いない!

これも昔の歌で恐縮ですが、同じような題で、布施明さんが歌った「愛は不死鳥」いう作品があります。この歌は、この題が高らかに宣言するように、歌詞でも「愛は死なない」と力説してはる、すなわち恋愛の賛歌。それならばこの「恋はフェニックス」もフェニックス言うたら不死鳥、火の鳥やさかい同じ様な、不滅の恋を賛美する話かと思たらこれが大違い。

だいたい英語の原題 からして、“By the Time I Get to Phoenix “(フェニックスについたころには)や。これ見たらおかしいとピンとこなアカンは兄ちゃん。

つまりこのフェニックスいうんはアメリカ合衆国アリゾナ州にあるフェニックスという土地の名前。不死鳥なんか関係あらへん。

さて、By the Time I Get to Phoenix –と歌い出すこの歌。実は彼女か女房を捨てて家から飛び出した男の妄想に基づく繰り言、という仕立ての詞の内容。その妄想とは、

「俺がフェニックスに着いた頃にようやく目ぇ覚ましたアイツは、ドアにつるしたメモに目をとめるやろ。出ていくと書いてあるところに目を走らせた途端、きっと笑いよるやろ。なんせ今までにも散々そんなことあったさかい」

これが一番の歌詞で、後はその逃避行で移動していくであろう場所場所にそって新たな妄想コメントを発していくわけですわ。

「アルバーカーキーに着くころにはアイツももう働いてるはずや。ランチ休憩でたぶん俺に電話するやろが、壁の電話は無人の室内で空しく鳴り続くんや、オモロ!」(携帯の無い昔の話やからね)

「ほんで、オクラホマに着くころには、アイツはもうベッドで眠っているはずや。ほんで寝がえりを打った拍子に俺の名前を何気に口から漏らすんや。最後、俺がホンマに出て行ったと感づいたら、きっと泣きよるはずや、今までも何べんも言うたったのに、信用せんからこんな目に合うんや、ドヤ、ざまみさらせ!」

と、こんな感じの家出したオッサンの独り言みたいな歌詞なんですが、実はここには悲しい男の強がりが伺える。女々しい未練ごころが垣間見えるんよ、オッチャンには。

女々しいなどと申しましたが、こうして自分で迷いながらも、しでかした行為を振り返り、ウジウジジメジメと後から自己正当化するのは圧倒的に男の方。そやから表現方法も女々しいやなくて男々しいと改めんといかんのちゃう?実際に彼女の方はこんな具合なんちゃうん?

「ヤッター!オッサンやっと出ていきよった。今までさんざん口ばっかりでよう出て行かんかったヘタレが!あー、スッキリした、せいせいしたわ。さて家ん中かたずけて、掃除してカレに電話しよ!オッサンとうとう出ていきよった。今日からウチ泊まれるよー言うて。オモロ!」

さて、この情けない男の負け惜しみが、アメリカンの心情を強く揺さぶったお陰で、歌は大ヒットしたのですが、実はこの歌、グレンキャンベルが歌ってヒットするまでにも、違う人が歌ってレコーディングしていたのです。つまり二番煎じ、中古の曲ですんや。

いや、そればかりでは無い、私が初めてこの「恋はフェニックス」を聴いたのは冒頭でも申し上げたとおり、尾崎紀世彦さんのカヴァーヴァージョンなのですが、この尾崎さんの昭和歌謡史に燦然と輝く名曲、「また逢う日まで」も実は人の歌の焼き直し、つまり中古改作品だったのです。

最初この歌は、昭和の大作曲家、筒美京平先生がエアコンのコマーシャルソングとして作った曲。ただしこの曲はボツとなり世に出る事は無かったのですが、その曲に眼をつけた当時の敏腕プロデューサーが「白いサンゴ礁」という曲のヒットで人気となった、ズーニーブーというグループの新曲として、これも昭和の偉大な作詞家、阿久悠先生に詩を依頼して「ひとりの悲しみ」という楽曲名で発売したのです。しかしながらこれも不発。ところがふとしたきっかけでこの曲を耳にした新人歌手、尾崎紀世彦さんが自分に歌わせてほしいとこのプロデューサーに頼み込み、歌詞も阿久先生に再度書き直してもらって発表したのが、ご存知の大ヒット曲となった「また逢う日まで」。

このような事例は歌の世界には結構多く見受けられるようなのですね。適材適所ならぬ適曲適歌手、ぴったりの歌手に出会ってこそその曲も輝きだすというもの。

それと同じく、中古宝石と道理は同じ、侮ってはいけません。

宝石と人も出会いが肝心。たとえ新品で購入してもそれが身に沿うとは限りません。

「ホテルの展示会で外商さんの義理で買ったけど、気が付けば全然してないから、宝石の買取りに定評があるマルヨさんで処分しよ」

という事で、こちらご覧いただいておりますのは、ひと昔前、百貨店外商部の一流ホテル展示会でよく販売されておりました、サザンクロスというブランドの、鮮やかで色の乗りも最高のルビーかと見まがうほどのピンクサファイアの指輪でございます。

この様な素晴らしい指輪が、しかも新品同様の状態で勿体無くも、質屋の蔵で日の目も見ずに眠っているのです。

出でよ、この指輪に本来の宝石の輝きを発揮させ、多くの人々の羨望の眼差しが注がれる表舞台に引き出してくれるアーティストよ!

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