お盆休みは、普段しみったれて百円の古本文庫本しか買わんところを奮発して、なんと税込み三百八十五万圓もの大金をはたき、いつものブックオフで、わたくしが崇拝する作家、町田康先生の著作、「どつぼ超然」を贖ったのである!
いつもながら先生の作品はその題名からしてふるっている。
その傑出したタイトルだけをざっと挙げても・・
「くっすん大黒」
「屈辱ポンチ」
「爆発道祖神」
「パンク侍、斬られて候」
「人間小唄」
「へらへらぼっちゃん」
「耳そぎ饅頭」
「テースト・オブ、苦虫」
「土間の四十八滝」
このように、まともな精神構造の持ち主では、まず思いも付かないサイケ奇天烈なタイトルばかり。
ただし、このタイトルとて何もむやみやたら、出鱈目につけておられるわけではなく、ちゃんとその小説の内容に沿ったものであるから驚き。
たとえばこの「どつぼ超然」であるが、これは本作主人公、「余」と一人称で名乗る男が敢然と決意した生き方、人生の指標。それは、どつぼ、つまりどん底最低最悪の環境、人生の苦境に遭遇してもこれに心乱されることなく、超然と、さながら風に立つライオンの如くに生きるんだと言う決意表明。が、しかし、心弱き主人公「余」は、つまらぬ些事にあっという間にパニックって、その決意が脆くも崩れ去ったことに深く落胆し、こんなことなら生きている甲斐が無いと自殺を決意。そこからお話が進展して行くという、そもそもの物語を語る上での因果関係の原因の部分を暗示しているのであります。
さて、主人公が自殺を決意したこの物語がそこからどう展開するかという事ですが、実はわたしには全くあずかり知らぬところなのであります。
なんでやねん?オマエ、本買おて読んだん違うんけ?先だっての谷崎潤一郎の「瘋癲老人日記」のヤラシー場面は克明に解説しとるくせしやがって、同じように、かいつまんで説明したらんかい、ワレ!とお叱りを被るのもせん無き事ではございますが、実はこの町田文学を語る上で、物語のストーリー展開はさして重要ではないのであります、いや、批判を恐れずに言うと、物語のスジなど無用の長物。
実はこの町田文学の真骨頂たるや、起承転結と川のように流れゆくストーリーの展開よりも、寧ろそのストーリーを構築する各々の文章の突拍子もないワンフレーズワンフレーズの面白み、深み。例えていうならば、モダンジャズのインプロビゼーション、即興演奏で飛び出す一瞬の、「ワオー!」と思わず雄たけびを発せずにはおれない、鳥肌立つフレーズ、またはその連鎖に相通ずる、一つ一つの文章が醸し出す刹那刹那のWOWにあるわけなのでございます。
たとえば、この「どつぼ超然」の中のワンフレーズを例として挙げるなら、
「余はチンペイこと谷村新司の楽曲、『昴』を口ずさみつつ」
という、この一文に御注目いただきたい。
このフレーズには、チンペイなるコミカルなニックネームにふさわしい、谷村新司なる、とっ散らかった福笑いのような滑稽な人相のいわゆるフォークシンガーが、得意満面、ドヤ顔で歌唱するご自慢の代表曲「昴」という、これまた壮大なオーケストラのご大層な伴奏と、文語調風の勿体ぶった歌詞で仕上げた、一聴すると感動大作の造作ながら、その実、中身空疎な唄。これをば、いきって歌うサマ、あるいはこのような歌が大ヒットするという日本のミュージックシーンをば、本職はパンクロッカーの町田氏がおちょくり、小ばかにし、あざ笑う態度が見え隠れいたします。
まあ、このような例は枚挙にいとまがなく、それぞれにいちいち引っかかっているうちに本来の物語の成り行きを忘れてしまうという仕掛け。したがいまして、読者は読んだ先から物語を忘れていくという恐るべきカラクリの小説なのでございます。
さて、この小説「どつぼ超然」の舞台となっておりますのは、古くからの日本有数の観光地、熱海なのでありますが、主人公の「余」は突然この地に転居を決め、この地を訪れるわけなのですが、そこで最初に目にするのが、尾崎紅葉の名高い小説「金色夜叉」のワンシーンをモデルとした貫一、お宮の銅像。
銅像と言ってもこれがまた並みの銅像とは訳が違う。なにせガクラン姿の男性が和服姿、日本髪の女性をけり倒しているサマを衆人環視、白日の下に晒しているという実にアブナイ彫像。こんなものを観光地に晒しておれば、これだけ海外からの旅行客が増えた昨今、必ずやいつの日か国際人権委員会から、女性蔑視、暴力廃絶の観点からクレームが来るは必定。
しかし、そもそも、なぜにこのお宮さんという女性はガクラン男、貫一にキックを食らってオヨヨと地面に崩れ落ちているのかというと、簡単に言うといわゆる痴情のもつれ。もっと簡単に言うと、貫一のフラれた腹いせの末の暴力三昧。
元々、この貫一とお宮はお互い将来を誓い合った恋人同士だったわけなのでありますが、そこに現れた第三の男、大金持ちの富山なる男が、金にモノを言わせ、高価なダイアモンドの指輪を餌に、お宮さんを横取りしてしまったのでございます。
まあこんなこと、実際世間にゃ良くあることで、そのいちいちに目くじらを立ててたんじゃ、アッシなんぞとっくに傷害致死かなんかで今頃豚箱のお世話になっててもおかしくございませんぜ、旦那。
しかもこの貫一なる男、女性を蹴倒しただけではまだ腹の虫がおさまらず、
「来年の今月今夜、再来年の今月今夜、十年後の今月今夜、いや一生を通してこの今月今夜のこの月を、きっと俺の涙で曇らせて見せる。もし月が曇ったならば、宮さん、貫一はどこかでお前を恨んで泣いていると思ってくれ」
などと云う、みじめったらしい泣きごとまでお宮さんに浴びせ掛けております。まあなんと往生際の悪い、女々しい野郎じゃございませんか?
実はダイアモンドのせいばかりじゃなくて、こんなうじうじした粘着質のヒルのような性格に、貫一のふられた要因が隠れているんじゃないんでしょうか?
しかしまあ、明治の封建的な世相にあって、このお宮さん、男を捨ててダイアモンドを選ぶというのはまさに大英断、アッパレとしか言いようがございません。なぜならば男女の間の惚れた腫れたなんてものは、恋病(コイヤマイ)などと申しまして、他の多くのヤマイともども自然治癒、時間薬、遅かれ早かれ治癒いたします。結婚なんぞして、所帯でも持とうものなら、もう一発で、あばたもエクボが、エクボもあばたに大逆転。残りの人生を寛容と忍従の精神で耐えたところで、再び恋の花咲くこともなく、仮面夫婦として一生を仲の悪い漫才師のごとくに屈託を抱えつつ過ごさねばなりません。
それに引換え、ダイアモンドはもうご承知のように永遠の輝き!あなたの所有物になったとたんに、イビキがうるさい、お金に細かい、ギャンブル中毒である、アル中である、ゲイである、盗撮家である、ヤクザである、だらしない、よその女にもだらしない、なんていう不都合な真実が次々露見してくることもございません。一生を通じてあなたに対して真摯にその衰えることのない美しいキラメキを注いでくれるのでございます。
さて、ご覧いただいておりますのは、当社の秘宝、ギメルのダイアモンドパヴェリングでございます。
こちらは大粒の最高級メレダイアがぎっしりと五キャラット、これでもかというボリューム感でセットされた質、量とも最高級のパヴェセットリングなのでございます。
写真では、一個一個のダイアモンドが巧みな撮影技術のお陰で確認することができますが、実物を見るともう眩しい輝きのせいで一個一個のダイアを肉眼で認識することができません。ダイアモンドはあくまで光の反射でのみ輝くわけですが、こちらはあたかも光源がリング内部に内蔵されて発光してるかと疑うくらいの凄まじい威力。ダイアモンドの無慈悲、無遠慮な輝きが容赦無く見る人の瞳孔を射すくめるのでございます。
今月今夜の月の光は涙で曇らせることは出来ても、この指輪のダイアモンドはどんな男の涙でも曇らせる事が出来ません。令和の御代のお宮さんにおかれましては、この目もくらむダイアモンドの指輪をお着け頂き、どんどん男どもをお泣かせ下さいましな。
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