わたくしが勤めておりました宝石屋の本店がまだ大阪の心斎橋にあって、バブル崩壊後とは言え、まだ栄耀栄華を極めブイブイ言わせていた当時の事。ニューヨークから名の通ったジュエリーデザイナーを呼び、その店の三階にありましたちょっとした展示スペースにて展示会を行う事になりました。展示会に先立ち、展示会前一週間をそのブランドの社員と商品を営業車に乗せ、各外商員が順番にそれぞれの得意先のお宅を訪問しそのブランドの商品を売り込むという、いわゆる同行持ち回りという販促が展開されました。
この同行持ち回りと呼ばれる販売方法は、百貨店外商部などがよく行う販売方法で、主に宝石、時計、呉服、紳士服、絵画美術品等の高級品を、そのテナント業者なりメーカーの社員を同行のうえ客宅を訪問して売り込んでいく販売方法。まあ体のよい押し売りみたいなものですな。しかも複数人で押しかけるからその圧も半端ない。こんなことを普通のお宅にアポ無しで行えば、警察沙汰にもなりかねません。しかし相手はお金持ちのお得意様。その辺は心得たもので、買う買わないは別として、ちゃんとご主人のゴルフの優勝カップなんかが飾られ、鹿の首のはく製が壁からにょっきり生えてるような立派な応接間に通してくれて、一応商品はご覧下さる。
本番のお店での展示会には、ニューヨークからわざわざ遠路はるばる、その会社のオーナーにしてデザイナーご本人が来日して販売に当たるのですが、その前のプレ販売の同行持ち回りにはそのデザイナーさんの息子、ローレンスという兄ちゃんがやってまいりました。
もちろんデザイナーご本人もローレンス君も日本語なんて一言もしゃべりませんから、通訳が必要。ところがその会社、通訳を雇う費用をせこって、ちょうど香港から帰ってきたばっかりの私にその任をまかせようと白羽の矢が立ったのです。いやー、香港人とはお互い外国語としての英語をコミュニケーションツールとして、日本語まじりの片言英語のやり取りで何とか日々過ごしていたものの、本チャンのアメリカン、ネイティブの方の通訳なんて滅相も無いと固辞するものの、聞き入れられず、その一週間はニューヨークジュエラー御一行様担当となり、同行持ち回りにも“通訳”として同行する運びとなりました、いやー参ったね。
困ったのは何も私だけではありません。そのアメリカ人のジュエラーを営業車に同乗させ得意先に連れて行かねばならない外商部の各社員も弱り切っておりましたねー。なにせ外国人の同行なんてみんな初めての体験ですからね。いや、それだけじゃない、そんなことをアメリカでは全くしたことが無いローレンス君も面食らっておりました。大体アメリカでは外商なんてシステム自体が無いらしいのです。「そんな事やってるって悪い奴等が知ったら、車止められ一発でホールドアップよ、頭おかしいんじゃね?」と両手の平を天に向け肩をすぼめる例のポーズ。わっ、よう映画とかで見るやっちゃこれ、ホンマモンやこれ!
さあ、そのプレセールの外商持ち回りはまさに珍道中。担当外商員がいつもと同じような調子で客宅へ訪問するまでは良いのですが、奥さんがひとたびローレンス君を見つけるなり「ちょちょちょと待って、何なん、外人やん!あんたなんで外人なんか突然、・・・困るわー、困るやん、デザイナー連れて行く言うさかいエエよ言うたんや。そんなん外人て言うといてくれんと、いやーどうしょ?ウチ土足厳禁やさかいね!」まあ皆さん大体こんな感じの反応で、こちらは気楽な通訳の立場ですから、そのいちいちが面白いのなんのって。担当者ももう平身低頭で「すんまへん、ホンマすんまへん、せやけど奥さん最初から外人連れて行く言うたら絶対アカン言いはりますやん、僕っかて、会社の命令で、板挟みで辛いんですわー、堪忍してください。もう奥さんとこしか頼るとこ有らしませんねん、たのんますー、すんませーん」 こんなやり取りを横でぽかーんとローレンス口開けて聞いとるわけです。
このローレンス、いかにもアメリカ人気質というのか気さくな兄ちゃんで、すぐ打ち解けて車中では外商員の緊張をよそに色んな話を致しました。もうかなり昔の事ですから内容はほとんど忘れましたが、一つだけ覚えているのがタバコの話。
彼はアメリカ人にもかかわらず、かなりのヘビースモーカー。そのころは私も喫煙者だったのですが、吸ってるタバコがなんと同じマルボロライト。
「おっ、一緒やん。なんて偶然!せやけど日本で売っとるマルボロライトとアメリカのマルボロライト違うん知ってる?」
「ホンマ?知らんかった。せやけどどこがどうちゃうん?味か?」
「おせたろか?実はな吸い口がちゃうねん。吸い口の紙質がちゃうんよ」
「どないちゃうん?」
「日本のは吸い口の紙が唇にネバってひっつく感じやねんけど、アメリカのんはさらさらでそれがないんよ」
「うそ?」
そこでやおらローレンス胸ポケットから煙草の箱を取り出すと
「これはアメリカのんや、吸うてみ」
「おおきに、ほな一本いただくわ。わっ、ホンマや、サラッとしとるわ。こっちのんがエエな」
ここでローレンス片目でウインク。わっ!映画で見るやつや!
さて、本番の展示会はいよいよお父さんのデザイナー先生のお出まし。この方、子供時分にナチスのホロコーストから逃れるために家族ともどもヨーロッパから南米に渡り、その後アメリカに移り住んだというなかなかの苦労人。そのせいか非常に人当たりの良いジェントルマンでユーモアのセンスもなかなかのもの。展示会でそこの商品を売りそこなった営業社員に面と向かって “ Shame on you ! “ ( 恥を知れ!)なんて言って笑わせてくれました。
さて、このデザイナーのおじさんの会社、自社ブランドの製造だけに留まらず、なんとティファニーの下請けもやってるとの事。ちょうどお昼休憩に一緒に出まして、何が食べたいかと聞くと、なんとうどんが好きだとおっしゃる。そこで近所のうどんの名店、心斎橋「にし屋」にお連れしたのですが、その後当時心斎橋筋商店街内にあったティファニーのお店を見物したいと仰る。そこでうどん店を出た後、このニューヨークのジュエラー社長をお連れしてティファニー心斎橋店を訪れたのですが、お店の方もまさか自分とこの商品を実際作っている下請けメーカーのオッチャンだとはまさか知る由もなく、ただ、外国人という事で声もかけず遠巻きに見てるだけ。
「なるほど、ところ変われば品かわるって言うけどやっぱり商品構成が大分違うねー」
などと言いながら商品を細かく見ていきます。
「ちょっとこの留め具の細工見てごらん、これはティファニー独特の細工で、これ拵えるのなかな難しいんよ。ティファニーってホント下請け泣かせでさー、細かいとこにまで、いちいちホント厳しいんだよ。もちろん下請けはウチだけじゃなく沢山あるんだけど、仕事が悪いとすぐ切られちゃうんで大変なのよ。ここの丸い輪っかも日本じゃ最初からこういった出来合いのパーツがあるじゃない。実際ウチのオリジナルにはそんなの使てんだけど、ティファニーのはこんなのでも金の線を丸めて一から作らされてんだぜ、勘弁してよって感じ、ホント大変なんだ。それにあそこのエルサって女性のデザイナーがまた小うるさくてさー、ここがダメ、図面どうりじゃない、イメージが違うとか、センスが悪いとか言ってすぐ返品してくるからたまったもんじゃない。それにさ・・」
ティファニーのお店で散々ティファニーのグチを言いだす始末。ティファニーやから英語のわかる店員もおるんちゃうんと小心者のわたくしはひたすらびくびくしていたのを思い出します。
さて、現在こうしてティファニーのバイザヤードを当店の一押し商品として集中販売いたしております今となって、商品検品時のルーペによる細部のチェックを行う際など、あらためてあの下請会社の社長さんのグチが思い出されます。あのオッチャンのグチがこの完成度の高さとなって結実してるんやねー。
エエもん作るには妥協を許さない厳しさが必要いうこってすな。
掲載ページはこちら → https://item.rakuten.co.jp/douxperenoel/11004511/