新聞も取らないテレビも見ない無為徒食の身の上、何かと世事に疎いのですが、ここ最近耳にして驚いたことに、なんと日本で1980年代頃に流行った所謂ニューミュージックが世界の音楽シーン、特にインターネット上ではCITY POPなどと称され、人気沸騰しているとか。中でも人気は山下達郎、竹内まりやご夫妻で、ネット上ではCITY POP のキングアンドクイーンなどと呼ばれて大人気だそうでございます。
いやはや、ちょうど80年代と言えは、不詳わたくし二十代のチャラ男の頃。よく悪友どもと繁華街のディスコティークに繰り出しては、達郎さんの曲に合わせ「おおーレッツダンス素敵なーディスコおおーレッツダンス朝まーで」歌詞にあわせて能天気にも、文字通り朝まで踊り狂ったものでございます。
ちなみに日本で達郎さんの人気に火が点いたのは、なんと大阪のディスコかららしいので、わたくしなんぞは正に「その時歴史は動いた」の生き証人。なにせ達郎さんが流行りだす前は、もちろん大阪のディスコでかかる曲もモータウン系ウエストコースト系なんかの洋楽ばかり。それが、達郎さんのおかげか達郎さん以外にも桑名正博、南佳孝なんて人の曲もかかり、一時期大阪のディスコはなにやら当時の人気番組「ザ・ベストテン」のような状態になっておりました。
まあ、その頃はじっくり曲に耳を傾けるなんていう余裕のある聴き方はしない訳で、同じアホなら踊らにゃソンソンとばかり安物のウイスキーを煽り、酔いにまかせて千鳥足で「スッテップ踏んで踊れるはずさー」とばかりにフロアーで飛び跳ねるのに夢中だったわけでございます。
しかしながら、CITY POP 隆盛の報を小耳にはさみ、四十年の時を経て再度じっくり聞き直してみますと、音楽とともに蘇るは、懐かしきあの頃、チークタイムに誘ったあの娘やこの娘の麗しいお顔。それと同時に、今更ながらに達郎氏のダイナミックかつ緻密な音作りに改めて驚嘆してしまうわけであります。重厚なりズムセクションに、嵩にかかって波の様にめくるめく被さる華麗なブラスセクション。小気味よい氏自身のギターカッティングの妙技。そして多重録音による虹のような七色の独りコーラス。いや正に時を超えて世界を震わす素晴らしい音の曼陀羅。
実際にネット上で先に大反響を呼んだのは奥様の竹内まりやさんの「プラスティック ラブ」という曲で、この曲はYouTubeで凄い再生回数を記録したうえ、世界の様々なミュージシャンがカヴァーしているのですが、この曲とてアレンジからバックの演奏まで全部山下氏及び彼のバックミュージシャンがサポートしているわけで、サウンド的にみれば紛うことない達郎サウンドなわけなのです。
さて、此度の山下ご夫妻の海外からの再評価を目の当たりにし、思い起こされるのが、江戸時代に活躍した絵師 伊藤若冲の平成になっての国内再評価。
元々は京都の大きな青物問屋の旦那さんだった若冲は四十にして家督を弟に譲り、早々と隠居。その後は余生を好きな絵一筋に打ち込んだ創作三昧。お金があるから絵の具や道具も最高の物でそろえるといった凝りよう。ただ、この人の場合これが単なる旦那芸、下手の横好き、絵道楽で終わらず、実に見事な芸術へと昇華させてしまったのがすごいところ。
生前よりその名声は高く、中央の画壇にも属さぬ一匹狼的な立場ながら、その圧倒的な画力、精緻な筆使い、芸術性は当時の人気絵師丸山応挙と並び称されるほど。
しかし時は移り、若冲も応挙も全ての江戸時代の絵師たちが明治、大正、昭和の時代の波に呑まれ、もはや、歴史書のページにその名は有れど、多くの人はその作品とて知らぬ過去の人となり果ててしまっていた、かもわかりません。あるアメリカ人の目に留まっていなければ。
オクラホマの田舎資産家のお坊ちゃま、ジョー・プライスは1953年パパの仕事を助ける一環でニューヨークに滞在していました。たまたま入った東洋古美術の店で彼は初めて若冲の作品を目にします。彼は雷にでも打たれた衝撃を受けたのでありましょうか、パパが大学の卒業祝いの為に買ってくれるはずのメルセデスの購入資金を、なんと名前すら知らぬ東洋の画家のその一幅の掛け軸につぎ込んでしまったのです。その後、パパが激怒したかどうかは定かではございませんが、彼の伊藤若冲を中心とした日本絵画のコレクションはこれをきっかけにあれよあれよと見る間に膨れ上がり、世界でも有数のコレクターになっていったのであります。
2006年東京国立博物館での「プライスコレクション『若冲と江戸絵画』展」においてそのコレクションが初めて日本で公開されるや、天才絵師若冲の超絶的技巧と鮮やかな色彩、奇抜な構図が時代の移ろいを超え人々の胸を打ち、その人気はたちまちのうちに日本国中に広まっていったのであります。
黒沢映画「羅生門」のヴェネツィア映画祭のグランプリ獲得に遡るまでもなく、どうも日本人は自分たちのやっている事や作り出すモノにあまり自信がないようで、海外から脚光を浴びて、ようやく初めてその真価を再確認するといった傾向にある様でございます。
さて、そういった事柄に着目してか、これを見事逆手に取ったマーケティングプランを展開したのが、芦屋奥池にアトリエがあるジュエリーブランドのギメルさん。
ギメルのオーナー兼アートディレクター穐原かおる氏は1970年代に渡米しGIAにて宝石学とデザインを学んだ後帰国、自らのブランド「ギメル」を立ち上げ、品質に一切の妥協を許さないモノづくりを目指すとともに、まずは海外で認められなければという発想から、香港ジュエリーショーに15年連続で出展し続けたとの事。その結果目論見どおり海外から人気に火が点き、日本で一気に名声が広まったらしいのでございます。
その作品の多くが海外に流出し、ジョー・プライスのようなコレクターの手に渡った若冲の掛け軸。はたまた、都内の中古レコード店では一枚何万円というプレミアムがつけられ売られているという達郎さんの昔懐かしい黒いLPレコードを買いあさる海外のバイヤーやコレクター。
このような有様を見るにつけ、希少なギメル製品の海外流出を危惧せずにはおれません。
海外のジュエラーから100年後も価値の変わらぬ「未来のアンティーク」とまで絶賛されるギメルの商品。これらの海外流出を防ぐのは、あなたの今の決断一つにかかっているのであります。
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