前回に引き続いての映画のお話。映画と言えばこの語り口、わかるかな?
さて皆さん、前回も少し触れましたが、今回のお話は、映画とその元になった原作の関係についてなんです。
たいていの人気小説は映画化されることが多いのですが、さて、そのどっちが、つまり元の小説がええのんか、いやいや、やっぱり百聞は一見に如かずというが如しで、視覚に訴える映画の方がええんちゃうのという議論が、そういった人気小説の映画化、あるいはその作品が話題作や人気作になる度に起こりますね。
例えば、古くはアメリカ南部ジョージア州はアトランタに住んではった、マーガレット・ミッチェルというごくごく平凡な普通の主婦が書きました、アメリカ合衆国の国土を分断した争い、南北戦争に題材を取りました長編小説「風と共に去りぬ」。
このお話、このおばちゃんが初めて書いた処女作にもかかわらず、一躍世界的な大ベストセラー小説となってしまったのです。
主婦やのに、処女作とはこれ如何に。
いちいちしょうもない事言わいでよろし。
さあ、そこで抜け目のない映画業界、これをハリウッドのメトロゴールドウィンメイヤーという、あのオープニングでライオンがガオー言うて吠えとる映画会社ね、この映画会社が主演ヴィヴィアン・リー、クラーク・ゲーブルその他、キラ星の如き豪華俳優陣をそろえ、三時間を越える上映時間の超大作に仕立て上げました。
この映画もご存知の通り空前の大ヒットとなりまして、アカデミー賞は当然の如く総なめ、映画史上に燦然と輝く、誰もが認める名画、名作となったわけでございますが、この時分から、やっぱり原作のほうがええで、いやいや映画が原作を超えたんちゃうんと、喧々諤々の議論が巻き起こったんですねー。まあ、そんなん観る人読む人の勝手やと僕なんか思うんですけどねー。
また、こういった小説と映画の論争の中には、なんと原作者が出来上がった映画が不服や、勘弁でけん言うていちゃもん付けてくる場合もあるんです。
その代表例が、アメリカのホラー小説の第一人者にして、人気小説家のスティーブン・キング、この人の小説「シャイニング」を、これをまた天才、鬼才の呼び声高い映画監督スタンリー・キューブリックが映画化し、タイトルもそのまま「シャイニング」として作った映画のケース。
さて、原作者のスティーブン・キングはなんでいちゃもん付けたかというと、原作に忠実なのはタイトルだけで、中身はストーリーから、キャラクターの設定や性格までもが映画では大きく変更されていたんですねー。
「ちょっと兄ちゃん待ったりーな。これちょっとおかしないか?ワシこんな話書いた覚えあらへんで。勝手な真似してもたら困るわ、洒落ならんで、正味のはなし」
言うてね、もうスティーブン頭から湯気出してかんかんに怒って怒鳴り込んできたらしいんです。しかし時既に遅し、もう映画は公開されてて、泣こうが喚こうが後の祭り。
しかし映画は大ヒット。今でもホラー映画の金字塔の呼び声高い伝説の作品となったわけでなんです。皆さんも例のジャック・ニコルソン演じる主人公が、斧で叩き割ったドアの隙間から鬼気迫る恐っそろし気な顔出してるスチール写真、いっぺんくらいは見たことありますやろ。
まあ、映画が当たれば当然原作を読んでみようかという人も増え、したがいまして本の売れ行きも、そのシャイニングだけに留まらず他の作品にも波及して伸びたんです。
そんな具合の痛し痒しで、そんならまあ今度目だけは堪忍しといたろかと、スティーブンも渋々鉾を納めたという訳。知らんけど。
ただ、スティーブン・キング先生余程ムカついたのか、後年自分でプロデュースしてこの「シャイニング」をテレビ映画という形で再度世に問うたんです。
ただし、やはり餅は餅屋で、同じ映像の土俵で争えば当然結果は明らか。なんせ相手は映像の魔術師なんですからね。
さて、この映画「シャイニング」、粗筋をざっと述べますと、売れない小説家ジャック・トランス、映画では先にも申しましたとおり、かの名優ジャック・ニコルソンが演じておりますが、その彼が、冬の間は厳しい気候のせいで閉館され、全くの無人となるコロラド山中の高級ホテルに住み込みの管理人として雇われ、妻と一人息子の一家を引き連れてこのホテルへやってまいります。
採用面接の際、実は過去にも冬季の管理人を雇った事があるのだが、長期に渡る豪雪に閉じ込められた閉塞した生活の為、その管理人は精神に異常をきたし、あろうことか、自らの双子の娘を斧で斬殺した挙句、自らも命を絶ったという事件を、面接に当たったホテルの支配人から知らされます。
そうは聞かされても、ジャック・ニコルソン演じるジャック・トランス、少しも動じる気配無く、こちらは作家が本業、むしろそういった静かな環境は作品執筆にあったて望むところと一笑に付してしまいます。後々同じ運命が自らの身に降りかかるなどとは思いもしないで・・・
さて、この同じ不幸な運命をもたらした元凶は、ホテル支配人が説明した長期の閉塞生活のせいではなく、その豪華ながらも古いホテルに巣食う悪霊に取りつかれたがゆえの暴挙だったのです。
さて、物語の顛末はDVD等で本編をご覧いただくことと致しまして、その管理人ジャックがあちらの世界に取り込まれていく過程として暗示的描かれておりますのが、巨大なボウルルーム、つまり舞踏会場のシーンなんです。
最初は当然、無人の空っぽで広大、暗い空間がしんと静まって広がっているのだけの部屋なのですが、ある日気分の滅入ったジャックが腰掛けた舞踏会場の片隅にあるバーカウンター。ふと見上げるとそこだけ煌煌と灯りが点り、なんと正面に突然バーテンダーの姿が。
正気であればここで腰でも抜かすほど驚くはずが、あちらの世界に引き込まれかけているジャックには平常の光景と映り、「今日はちょっとヒマそうじゃない?」などとバーテンに話かけ、最後はちゃっかり、ツケでバーボンのロックまで飲ませてもらうのです。
そして時がさらに過ぎ、二回目の舞踏会場のシーンでは会場の外までジャズ楽団の演奏する甘ったるいオールドジャズが流れ、会場内は居るはずのない多くの人々であふれ、宴もたけなわ、実に華やかな様子。
しかし良ーく目を凝らしてみると、なにか変だなと映画を観ている人は妙な違和感を感じる仕掛け。
それは、日本人の我々にはあまりピンとこないかもわからないのですが、そのパーティーに集い興じる人々の服装なのです。
特に女性の衣装は、仮装パーティーもかくやとばかりの非常にクラシカルな雰囲気。厳密に言いますと、ジャズエイジと呼ばれたアメリカで1920年代に隆盛を極めたフラッパーと呼ばれる緩やかで独特のシルエット。そうなんです、この宴は過去に生きるお化け達のパーティーなのです。
という訳で、突然ですが、このオバケの宴の雰囲気にピッタリな指輪がこちら。
大粒の非加熱スピネルをギメル社得意のダイアパヴェセットのリングの上、大胆にも八本のゴールドの爪でもって捧げる持つような、実に優美なデザイン。
そして何よりも魅力的なのが、この非加熱スピネルの妖しい紫の色。
いかにもアヤカシ、モノノケといった黄泉の国の風情をたたえた、この世もモノとは思えぬ蠱惑的で抗しがたい魅力が宝石の奥底から湧き出てまいります。
そしてこの魅惑の宝石を、奇跡のように煌めくダイアモンドが贅沢に敷き詰められてあるゴールドの台座が、豪華絢爛に縁どっているのでございます。
ボウルルームに集う、フラッパーファッションの緩やかな広がりのドレスをまとって、パッツンと切った前髪のショートボブの女性が、長いキセルのようなシガレットホルダーで紫煙をくゆらす、まさにその指こそが、この指輪の煌めく場所。その風情に幻惑されてジャックは、1920年代のジャズエイジの世界へ引きずり込まれて行ったのでしょう。
映画のラストシーン。
Overlook Hotel July 4th ball 1921と日付の入った舞踏会の記念写真の中央。
取り込まれたジャックが、嬉々としたにこやかな表情で、その他大勢のゴースト達と一緒に写真に納まる様子を見るにつけ、妖の世界も悪くないんじゃない、とつい思ってしまうのでございます。
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