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ハリー中野の宝石コラム

緋色珠の指輪はサラサーテの音色

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新卒で入社した宝石屋ですが、入社二十年目にして転職したのが、現在勤めている会社の前に居りました質屋。

質屋の看板に掲げるからと、多忙な社長になり代わり、GIA(米国宝石学協会)の宝石鑑定士の資格を取りに行くようにとのお指図がありまして、大嫌いな勉強を四十になってしぶしぶ再開する羽目となってしまいました。

なーに、多忙が聞いてあきれる。単なる無精で根気がない怠け者なだけなのですが、一応社長と名前が付けば逆らう訳にもまいりません。

聞けば、その研修はなんでもAGTというところで開講してるとの事。

いったい何で映画会社が宝石鑑定士の教育までやってんだろ、と訝しく思っていたら何のことは無い、そそっかしいわたくしがAGTとATGを勘違いしてただけ。

 

AGTとは、もともと日本宝石鑑別協会(Association of Japan Gem Trust)と名乗っていた宝石の鑑別鑑定及び各種宝石セミナーの提供といった業務を行っている会社で、もちろんGIAの勉強はこちらに行かないといけません。

片やATGとは日本アートシアターギルドという映画製作配給会社で、わたくしが若かりし頃、アートと名乗るだけあって、何やら難解で暗い映画ばかり作って、屈折した若者をより屈折させんが為に映画を作っているような会社でありました。

例えば現代の人気テレビドラマシリーズ「相棒」で主役の杉下右京なる気取った刑事を演ずる水谷豊でございますが、なに昔はATG制作、原作 中上健司 監督 長谷川和彦と聞いただけでもディープな内容を予感させる「青春の殺人者」という映画の中で、なんと両親を二人とも殺めてしまう残虐非道ぶり。何を今さら刑事に化けて、しれっと紅茶なんかすすってやがんだテメー、と豊の暗い過去を知る者としては憤らずにはおれません。まあ、こんな映画を独り見に行く学生だったわたくしもかなりの屈折君ですけどね。

 

さあ、そんなATG制作の映画の中でも特に印象深いと申しますか、わたくしが深く感銘をうけた作品が鈴木清順監督による「ツゴイネルワイゼン」という、そうそうたる内外の映画賞を総なめにした映画史に名を遺す傑作。

この鈴木清順という人、元々は日活でマイトガイ旭やエースのジョーなんて俳優をキャスティングしては、無国籍映画などと呼ばれた娯楽アクション映画を撮ってた監督なのですが、あまりの内容の難解さ故、とうとう日活を馘になってしまったというなかなかの曲者。

この偏屈なおっちゃんがなんと、一切の妥協を許すことなく自分の取りたい映画を撮ると宣言して作ったのがこの「ツゴイネルワイゼン」。

この映画、原作はかの文豪夏目漱石の弟子であり、また元祖鉄道オタクで愛猫家。大飯喰いの大酒呑み、そしてこれもかなりの偏屈者として有名な内田百閒という人が書いた、「サラサーテの盤」という小説が原作。

百閒先生、この小説のほかにも「冥途」などという小説もそうですが、筋がある様で無く、しかもそこはかとない不気味さを孕んでいる物語を書くので有名。

さて、「ツゴイネルワイゼン」と名前も変えた映画の方も原作同様、というか原作を更にアレンジし、より難解にしたような、ストーリーがあって無きが如きの映画。

じゃあ、なにが良いんだというと、その圧倒的な映像美なのでございます。

「清順美学」と後に評されるよう、独特の美意識で見るものを圧倒する、まさに映像芸術の究極的な形。ワンシーン、ワンシーンがそれぞれ一幅の絵となって観る者の心を揺さぶるのでございます。

小説の映画化に当たっては、原作と映画化されたものをよく比較され、やはり元の小説が良いという意見もあれば、出来上がった映画は小説と別物。別の視点で論ぜられなければいかんとか、様々な意見がございます。

しかし、小説に無くて映画にある最大の売り物はやはりその映像。その映像がどのように素晴らしいかを言葉では言い表すことは至難の業で、実際の映像をご覧いただくより他ございますまい。

それでも、敢えてこの「ツゴイネルワイゼン」において表現されている核となる点を指摘するならば、それは日本的な美意識である様な気がいたします。

映画の舞台となった鎌倉の景色。和洋折衷の明治以降に登場した独特の日本家屋。その軒下に吊るされた白熱球がぼんやり灯る球体の電灯。大きな蒲焼をまるまま一本載せた青磁の大皿。そして登場する女優たちの美しい着物姿やその容姿。

日本的な色使いは西欧絵画と日本画を比較すれば明らかなように、色彩の暗さというか鈍さがその特徴でなのではないでしょうか。西欧ではゴッホの絵画の様に、燦燦と降り注ぐ惜しみない太陽の光の下で、眩しいくらい咲き誇るヒマワリを描写するのですが、日本の場合、薄暗い部屋のちゃぶ台の上かなにかに置かれた柘榴の実を描き、暗さとの対比の上で色の鮮やかさを表現すると言った、屈折した日本人の心情が投影されているような表現方法が多いようでございます。この映画全体を一貫してしてつらぬいていますのも、こういった日本独特のネガティブな耽美主義とでも言うべき、暗く屈折した美意識ではあるまいかと思うのでございます。。

さて、宝飾品におきまして、そう言った日本的な美意識に最も則った宝石というのが、これからご紹介いたします珊瑚ではございますまいか。

この赤い珊瑚、その色は血赤(チアカ)などと表現されますように、まさに血液の色。

ただ同じ血液の色で評される宝石、ルビーのピジョンブラッド、鳩の血色とでは性質的にも大きく異なります。ルビーの色が動脈を流れる生命力溢れる鮮やかな色の鮮血とするなら、こちらは静脈を流れる暗い血の色。

宝石、特に色石の評価の基準はその色の彩度が高い事、つまり鮮やかさが一つの要因となるのでございますが、この赤珊瑚だけは独特の評価基準がありまして、鮮やかな真っ赤より、それにさらに黒を混ぜて色を濃くしたようなものが良いとされるのでございます。

さて、ご覧いただいておりますこちらの赤珊瑚の指輪。お色は黒い血とまでは行きませんが、安価な橙色の物とははっきり異なる、しっかり均一に赤色の乗った充分に美しい赤玉。

そして凄いのがこの大きさ。直径17ミリを超える滅多にない大玉。その大きな珊瑚の周りを1個がどれも0.2キャラット以上ある美しいダイアモンドが合計14個豪華に取り巻く贅沢極まりない造り。

今の様に世知辛い世の中、着物道楽などと言って和服をお召しになり、生け花やお茶を嗜む優雅な暮らし向きをなさっているご婦人はそう沢山いらっしゃるわけではございますまい。ただ、そのような伝統的な日本の美を体現され暮らしておられるお方には是非お勧めしたい逸品でございます。

この様な大玉珊瑚は環境汚染や乱獲の影響でますます希少性がますばかり。

日本の美を、そのライフスタイルを通して頑なにお守りいただいている、麗しくたおやかな大和撫子にこそ、ぜひこの掘り出し品の珊瑚の指輪を後世にその暮らし向きともどもお伝えいただければと思う次第なのでございます。

 

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非凡な凡人チャーのダイアペンダントネックレス

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今は亡き人気作家の中島らもという人の書くものは面白いと思っていたところ、喋ってるご本人は更に面白いという事を最近YouTubeを観て発見したのである。

江戸落語を評してテンポ良い小気味いい喋りなどと申しますが、氏の語り口調はこれの真逆。

噺口調のベースになっているのが、尼崎ご出身の事とて、もっちゃりした関西弁。このベースの関西弁をとろろ汁でのばして、卵白を加え納豆であえたような粘りのある、また途切れる事のないダラダラ喋りがのろのろと進行していくのである。

そして、その話す内容たるや、氏の書くエッセーや小話と同様、諧謔溢れる抱腹絶倒の内容だからたまらない。

 

もちろん最近のM1なんぞのテンポの速いノリツッコミに慣れた若人諸氏にとってはいささかタイミングの合わない、それこそカッタルイぼそぼそ語りで、そのペースについて行く事すら難儀であろうことは想像に難くない。しかしこのスローな話術に一度引き込まれるともう癖になって抜け出すことは困難。明らかに中毒性をもつ危険な喋りと言える。

 

さて、この中島先生、兵庫県尼崎は立花というところで歯医者を営むお家に生まれ、幼少のころは神童と呼ばれた優等生。

進学校として名高いかの灘中、灘高と学業の道を順調に邁進するも、どういう訳か高校半ばで勉強に嫌気がさし、ロックンロールに溺れ、酒や薬物に手を染めた末、ついにドロップアウト。

まあドロップアウトとはいうものの、そこはお医者様のお坊ちゃま、一応は大阪芸大に進学、無事就職も果たし、ちゃんとしたサラリーマンにひとまずは落ち着く。

その後アル中になったり、うつ病になったりの紆余曲折を経て、コピーライターに転じたあたりから運命は好転し、その後はとんとん拍子に名コラムニスト、作家、劇団主催者、ミュージシャンと時代の寵児として大活躍する事となったのはご存知の通り。

 

さて、最初コピーライターだった氏が、何故コラムや小説の道に進むようになったのかという理由がまた振るっている。

周りを見渡しても、読んでみたいようなおもろいコラムや小説が見当たらない。それなら自分で書いてみようという、言わば自給自足の精神からというから面白い。

そう言えば、私自身もはたして最近読んでみたい小説やら雑文などというものが見当たらない。いっそのこと中島先生に倣って自分で自分をエンターテインするオモロイ話でも執筆してみるか。弊社会長も「オマエいっそ物書きにでもなったらどやねん」と以前ご助言下さったことですし。

と、こういった他者のおちょくり半分の甘言に惑わされ、自惚れに乗じ、勘違いをする人が後を絶たない為、地道に職工勤めでもすれば、貧しいながらも幸せな家庭を築けたかも知れぬものを、一生を筒井康隆先生の小説「大いなる助走」ではないが、無駄な時間を無駄な事に費やし一生を棒に振り、生涯貧乏文学書生で終わる痴れ者が後を絶たぬのである。

 

こういった、自分の見果てぬ夢を追うが故に人生をしくじる者は何も物書きの世界にとどまらず、芸能、芸術、スポーツの世界と、ありとあらゆるジャンルで自らの才能を過信し、その結果、人生の終末を貧民窟のあばら家、スラム街の路上で無残な孤独死を迎える人がどれほど多くいる事であろうか。まことに嘆かわしい。

かかる不幸な道を前途ある有望な青少年に歩ませぬ為の警鐘という意味において、以下の文を熟読されたい。

 

さて、青少年諸君、まずはこのダイアモンドペンダントネックレスを観たまえ。

宝石、宝飾品に疎い諸君等には解るまいが、こちらは日本が世界に誇るチャーという高級ブランドジュエリーの素晴らしいネックレスなのである。

素晴らしいと言っても、素人諸君には一体なにが素晴らしいのか一目ではわかるまい。

何故なればこのネックレス、デザインの面においてはまったく定番のどこにでもあるダイアモンドを縦横三個ずつ並べただけの、プラスマークのようなデザイン。つまり何の変哲もない凡庸なデザインといって過言ではないのである。

ならば、なにが素晴らしいのかというと、このペンダントに使われている五つのダイアモンド。これが凄い!

鑑定書が付属してないからはっきりとした事は言えないが、全てのダイアが婚約指輪にそのまま載せ替えて使えそうな高品質。DEFカラーのVVSからVSの範囲で、カットだってどれもエクセレントが出るんじゃないかというくらいの素晴らしさ。

因みにこんな定番のデザインを甲府あたりの宝飾メーカーが普通に作りゃ、ダイアのグレーがGからIの間の色で、SIかIあたりのクラリティ、せいぜいカットもグッドが出れば御の字のダイアで拵えるはず。

当然、出来上がりの差は歴然。そこそこのダイアで制作した製品はこの平凡なデザインも手伝って、どこにでもある凡庸で退屈な装飾品となる。

かたや、こちらチャーの方はどうかというと、高品質ダイアモンドのみがもつブリリアンス、シンチレーション、ファイアーといった輝きの迸りが奔流となって放射され、見る者の眼を眩ませるわけで、それゆえ過度なデザインはかえって邪魔。このような抑えた定番デザインがダイアの輝きをお楽しみいただくには最適ということでこのデザインに治まったわけ。知らんけど。

 

さて、皆様方におかれましては、自分自身をこの非凡なチャーのネックレスでは決してないと心得る事が肝心。

蛙の子は蛙、かもめはかもめ。大体自分の親を見れば自分の正体は自ずと知れるもの。トンビが鷹を生むなんて事は、実際そんなことが自然界で起こりえぬように、起こりえません。

平凡なオッサンに見えて実はノーベル文学賞でも取ろうかという村上春樹のようなのに騙されてはいけません。大方の平凡に見るオッサンオバハンは、あるいは一見非凡に見える人でさえ、大概は凡人なわけですから。

前途ある青少年の皆様、あたら非現実的な妄想に取りつかれること無く、是非親御様同様凡夫凡人として人生を過たぬよう、地道に生き抜いて頂きたいものでございます。

 

その様な凡夫凡人に生まれた方への慰みとしてこちらのチャーのような、頑張れば手に入る非凡な商品があるわけですから。

 

因みに小生只今芥川賞直木賞泉鏡花賞あたりを狙い、質屋を舞台とした抱腹絶倒なお笑い小説の構想を練っておるところでございます。

以前、難波利三先生が実際大阪にあった質屋をモデルに「草暖簾」という退屈な小説を書いておられますが、これをパロって、これも実在する大阪の質屋をモデルに「臭暖簾」という題で文学史に金字塔としてその名を刻む傑作小説を執筆すべく、余生の手慰みとして準備進行中であります。

乞うご期待!

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Breakfast at Tiffany's

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夜明け間近、まだ薄暗いひと気のないニューヨークの街角。                                       一台のイエローキャブが、都会の喧騒と言うにはまだしばらくの時を要す、寝静まった大都会の大通りに静かに現れ、荘厳な意匠を凝らしたビルの前で一人の華麗な衣装をまとった女性を降ろします。                                          

女性はビルの一角にある大きく設えられたショーウィンドウの前に佇むと、紙袋からパンと飲み物の入った紙コップを取りだし、そのパンをショーケースを眺めながら、おもむろに頬張り始めます。

これは、映画「ティファニーで朝食を」の有名なオープニングシーン。                                   バッグに流れる美しい調べは、この映画の為に書き下ろされ、のちに不朽のスタンダードナンバーとなる、ヘンリー・マンシーニの傑作「ムーンリバー」。そして、このティファニーの軒先で大胆にもパンを頬張る女性を演じた女優こそ誰あろう、永遠の妖精オードリー・ヘップバーンその人なのは言うまでもありませんね。

映画の内容は、オードリー演じる不幸な生い立ちを背負う田舎出身の女性が、巨大都市ニューヨークでの大成功を夢み、金蔓になる大富豪を見つけんと怪しげな人間関係の中で一見、今でいうところのパリピ生活を謳歌している風に装って暮らしています。しかし、実のところは明日の見えない現状ゆえの葛藤によって生じる鬱々たる気持ちを、唯一ティファニーのお店を訪れる事よって解消している心の荒廃を抱えているのです。                         

そんな中、売れない作家ゆえにお金持ちのマダムのヒモとして糊口をしのいでいる男性と偶然知り合い、紆余曲折を経ながらも、最後ハッピーエンドで結ばれるという、まあ他愛ない、典型的なハリウッド式ラブロマンス。

ただし、この映画にはもう一つの側面があるのでございます。                                      それは、壮大に仕掛けられたティファニー社のコマーシャルメッセージ、つまり宣伝広告、プロパガンダ戦略という点でございます。さて、このマーケティング手法、デ・ビアス社のそれの様に綿密に計算された戦略なのか、あるいは有名宝飾店ティファニーを映画の舞台としたため偶然、結果的にそうなってしまったのかは、浅薄なわたくしの知識の及ぶところではございません。しかし、この映画をきっかけに五番街ティファニーがニューヨークの観光名所の一つとなり、ブランドの名声も一段とその地位の向上を見たのは間違いのない事実。

なにせ、冒頭に挙げたオープニングシーンだけで充分、現代においてすらそのままプロモーションフィルムとして使えるような仕上がり。しかも、そのシーンでオードリーが身にまとってるコスチュームはなんと「モードの神童」と呼ばれたフランスの有名ファッションデザイナー、ジバンシーの手によるもの。このドレスはその後「オードリー・ヘップバーンの黒のジバンシードレス」と呼ばれるほどにモードの世界で名声を博したとか。このドレス以外にも劇中にはジバンシーをはじめとする有名デザイナーの作品が衣装としてオードリーの華奢な姿態を包み、映画自体があたかも雑誌ヴォーグを眺めるかのような、お洒落好きにはたまらない趣となっていて、否が応でもティファニーのイメージアップに貢献しているのです。

もちろん宣伝は、このようなお洒落なムードのみの感性に訴えるだけのイメージ広告だけでは終わりません。

こちらもまた映画のワンシーン。大のティファニー好きのオードリー演ずる主人公に連れられてティファニーをカップルで訪れた売れない作家の彼。彼女へのプレゼントに相応しいものは無いかと対応に出たおじさんの店員に聞くのですが、なにせ貧乏文士とて予算は何と10ドル以下で賄えるもの。流石のベテラン店員も頭を抱えて困ってしまいます。ようやく思いついたのが、銀製のティファニーオリジナルの電話のダイヤルを回す棒。今で言うところのノベルティーグッズとでも言うものでしょうか。さすがにこんなものではと思ったのでしょう。青年やおらポケットから指輪を取りだし、この指輪に刻印はしてもらえるのかと問い質します。

一旦指輪を受け取った店員、矯めつ眇めつこの指輪を検分した後、「これは当社の商品ではございませんね」と青年に問うと、お兄ちゃん悪びれる風もなく、お菓子かなにかのオマケの指輪だと告げます。                                        ここで、さすがの慇懃無礼な紳士面した店員も態度が豹変。ついに堪忍袋の緒が切れて「無礼者めが、ここを天下のティファニーと知っての狼藉か?身分をわきまえぬ貧民が言うに事欠いて・・」とでも怒り出すかと思いきや、おじさんにっこり笑って

「こういったご注文はあまりお受けしてないのですが、手前どもは物わかりの良い店でございます故、かしこまりました。お引き受けいたしましょう」とあっさり引き受けてくれるのです。                                               まあ、なんと粋で親切で素晴らしい対応なのでしょう!赤井英和が婆さんおぶって階段昇るより、宣伝効果が上がる事間違いなし!

この映画の世界的大ヒットにより絶大な宣伝効果を得たティファニーではございますが、世の中何事も良い事の裏には難儀が潜むもの。

何が難儀かというと、この映画のあまりの大ヒット故、<ティファニー=オードリー・ヘップバーン>のイメージが固定化され、顧客のニーズも無意識のうちにオードリーのイメージを商品のうちに求める様になってしまったわけでございます。

特にティファニーをニューヨークの観光スポットの一つとして訪れる様な本来のティファニーの顧客層とは大きく隔たりのある一般顧客にウケる商品を開発しなければなりませ。なにせ映画の中で物わかりの良いなんて言っておきながら、いざお店に入ったら目の玉の飛び出る様な、庶民には無縁なハイジュエリーばかり並んでいたのでは、顧客の期待を大きく裏切る事となり、せっかくの赤井英和効果が水の泡。

そこでティファニーもシルバー製のお土産グッズに始まり、いろいろな買回り品をたくさんそろえる羽目になったのでしょうが、中でも秀一なのがこれからご紹介いたすところのバイザヤードペンダントのシリーズ。

こちらはティファニー専属ジュエリーデザイナー、エルサ・ペレッティーの代表作とも言われる商品群なのでございます。

ダイアモンドのペンダントネックレスなのでございますが、そのデザインを極端なまでに無駄をそぎ落とし簡素化し、それによって逆に良質なティファニーのダイアモンドの煌めきを最大限に引き出そうという目論見。この狙いは見事的中し、これ以上ないシンプル&エレガンスな雰囲気を醸し出しているのでございます。

その様子はあたかも映画の中での一場面、着飾らない普段着の姿でギターを爪弾き、自ら映画のテーマ曲、ムーンリバーを歌ったオードリーの様子そのままを表しているよう。

デニムパンツにスウェットシャツのような衣装の中で、美しいダイアモンドはジバンシーの高価なドレスにくるまれているよりも尚一層、強い輝きを発しているように見えるのでございます。

 

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小粋な女性のネックレス

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粋(イキ)なんて言葉は最近あまり流行らないようでございます。

下手に「おっ、粋だね!」とか「小粋なナリしてんじゃねーかい」なんて言おうものなら、一体いつの時代の人間かなんて疑われちゃいますよね。

「いき」あるいは「すい」という言葉の意味はウィキペディアによりますと、

 

“江戸時代に生じ、時代に従って変転した美意識(美的観念)で、遊興の場での心意気、身なりや振る舞いが洗練されていること、女性の色っぽさなどを表す語”

 

となっております。

この言葉の逆は野暮という事で、現代で言うところのダサイということになるのでしょうか。

ではこの「粋」という言葉、現代では粋の代わりにどんな風に表現しているのでございましょう?

アカ抜けている?洗練されている?スタイリッシュ?カッコイイ?どれもみんなピント外れなようでしっくりきません。

 

昨今はファッションも多様化してまいりまして、一概にこれがお洒落、イキで、こういうのはダサイ、つまり野暮だと簡単に選別する事が難しくなってきているのも事実でございます。

今では普通に男性のシャツの着こなしとなっている、シャツの裾をズボンの内側にたくしこまず、外に出して着る装いも、一昔前では「野郎なんてだらしねーカッコしてやがるんだ、近ごろ流行りのフーテンに違げーねー。ひとつとっちめてやらねーと」なんて事でいきなり見知らぬ人に殴られたりしたものです。

この様に時代の流れと粋という事も深い関係がございまして、「時代遅れ」なんて言う言葉通り、その時代、時代にマッチしてなくては、なかなか粋とは言われないようでございます。

 

さて、それではファッション雑誌の教え通り、時代に即した風体の身繕いをし、流行りのブランドで見の周りを固めればそれでOKかというと事はそんなに簡単なものじゃあない。

そういったキメキメの風体をしていると、人物観察に優れた百貨店やブティックの、いわゆる、お店(たな)者根性というひねくれた視点を待つ店員からは、その肩ひじ張った勇んだ心根を見透かされ、小ばかにされた挙句、絶好のカモとして恰好の餌食にされてしまうのです。

「(おっ、オバハンえらいイキッテもて、小鼻ふくらまして歩いとんで。ええカモや!よっしゃ一勝負かけてこましたろかい) いらっしゃいませ、あら―奥様、素晴らしい指輪で!」

 

ここで店員が使ったイキルという言葉。これは関西地方独特の下品なスラングでございますが、音声的にはイキに似ておりますが、まったく似て非なる違う意味合い。標準語に変換すれば、粋がって、とでも言いましょうか。無理して背伸びし、虚勢を張ってるサマという風な態度で、粋というより野暮に近いありさま。

成金などと呼ばれる社会階層の方々が、どんなもんじゃいとばかり、大粒ダイアその他大粒宝石をこれ見よがしにお着けあそばし、横柄な態度で店員に接するような行動はその代表的なパターンではないでしょうか。

 

さて、それでは粋なジュエリー、宝飾品とはどんなものかというのが、これからご紹介いたしますこちらのネックレス。

 

こちら全長70センチメートルの長めのネックレス。パステルカラーの色違いのセミプレシャスストーンをベゼルセッティングで留め、これをホワイトゴールドのマルアズキチェーンがステーションネックレスの体裁で繋ぐ、いたってシンプルな作り。

「なんや、アクセサリーみたいやん。ダイヤの飾りもないんかいな、折角の宝石やのに、こんなん値打ちあらへんやないの!」

 

そういう風に思うあなたは野暮な人。

もちろんこんな風なアクセサリーはいくらでもございます。しかももっと安価で。

そこを本物で装おうっていう心根が粋なんでございますよ。

無粋な人には分かりますまいが、本物には本物にしかないオーラってもんがございます。それを知ってこだわる人が粋な人、すなわち粋人てことになるのでございます。

このようなネックレスをさりげなくマーガレット・ハウエルの軽い素材のカジュアルなお召物にでも合わせて頂くと、もう一目で惚れちゃうね。

えっ、惚れいでエエ、爺さんお断り、迷惑てか?エライすまんの

 

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ニルヴァーナに誘うダイアモンドの輝き

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もう30年以上昔になるでしょうか、「ビートたけし氏絶賛!」なんて書かれた、本に巻かれた帯の宣伝文句にまんまと引っ掛かかり、衝動買いしてしまった本のタイトルが

「 町で一番の美女 The most beautiful woman in town 」

作者はチャールズ・ブゴウスキーというアメリカの作家。

この作家、それまで読んだアメリカの小説家とはまったく異なる稀に見る無頼派、というかそんなありきたりな言葉など頭から拒絶するようなパンク野郎。

小説の体裁は日本で言うところの私小説のような、自らの身におきた事柄、体験を元に小説化していくといった体ながら、その生活そのものが、<poor white trash , 白人のくず>と呼ばれる、合衆国における白人低所得層のヤサグレ野郎の捨て鉢生活。

日本において同様の社会階層に属し、うらぶれた暮らし向きのわたくしと致しましては共感、感銘するところ多く、以降この作家にどっぷりはまってしまったわけであります。

 

さて、この「町で一番の美女」がどんな話かというと、実は昔の事とて細部はすっかり忘れてしまったのですが、主人公のアル中放蕩ヤサグレおやじが、若くて町一番の美女のアバズレ女とねんごろとなり、有頂天になったは良いが、それも束の間、この女の子があっけなく自殺してしまい、失意と絶望のどん底に突き落とされるといったやるせない話だったかと記憶しております。

 

美人薄命などという様に、昔から美人美女は薄幸薄命と相場は決まっております。

わたくしも同年代の美女、女優の夏目雅子さんが若くして白血病で亡くなった時など、まさに美人薄命よなー勿体ないと嘆き、悲しみに暮れたものでございました。別に自分の彼女でもないのに。

 

しかしながら、実はこの美人薄命という言葉、あまり真理をついた言葉ではございません。

もちろん美人は薄命なのですが、それ以外の美人でない老若男女その他大勢も、人間というものすべて、否、生きとし生けるものすべからく薄命に出来ているのでございます。

「朝には紅顔ありて夕べには白骨となる」の諺どおり、人の運命はまさに一瞬先は闇。

お釈迦様の説かれた諸行無常の教え通り、かたちあるものは全て滅びゆく定めとなっているのでございます。

なれば、なぜ美人だけを殊更薄命などと言い立てるのかというと、やはり美しいものは失くしたときの喪失感が大きい。惜しい気持ちが半端無い。簡単に言うと目立ってしまう。

美しく生まれるというのもなかなか面倒なもので、良きにつけ悪しきにつけ何かと目立つ。ニコッと微笑んだと言ってはギャラリーがどよめき、涙ぐんだと聞けばファンがもらい泣きし、屁をひったと聞けば、あんな美女がまさか!という事で重大ニュースになる。なかなか気疲れの多い、心の休まる暇のない因果な商売でございます。

 

因みにこの「無常」と「無情」という言葉を混同して理解されている方も多いようで、全ての事物が移ろい消えゆく運命をなんともむごい事であるよなー、と解釈される向きもあるやに存じますが、それはまったくの誤解。諸行無常とはそんな人間のセンチメンタリズムなど一切入り込む余地のない宇宙の大原則、真理そのものなのであります。

 

と申しましても我々は生きている者全員、死の滝壺に向かい、今は亡き国民的歌手、美空ひばりが歌うところの、川の流れに乗って、ただ漫然と流されて行くだけ。いかに医療が進み、僅かな抵抗によっていくばくかの猶予を得たとしても、行きつく先は同じこと。嗚呼無情とも言いたくもなるわけです。

我が国の一日当たりの平均死者数は、パンデミックに関係なく3000人以上。年に換算すると100万人以上が死んでいく計算。つまり100人いれば一年後に一人は確実にいなくなる勘定。その確率の高い事、宝くじの比では無い!

 

そんな、明日をも知れぬ儚い定めの人間、どうしても永遠に変わらぬものに対する憧れの念が強くなるのは当然。

ダイアモンドは永遠の輝き!などと申しますが実はダイアとて永遠ではない。無常の法則に照らし合わせるとダイアモンドすら必ず滅する運命。ただその寿命の尽きるのは人間の想像を超えた遥か彼方の未来。ですから蜻蛉のような人の人生からすると永遠のようなもの。

この永遠の輝きと最強の硬度の鉱物に、死の危機と絶えず隣り合わせの儚く脆い人間は何らかの心の拠り所を見出そうとするのでしょう。

 

さて、ご覧いただいておりますのは、三角形の大粒イエローダイア2キャラットと、こちらも三角形の透明ダイア0.6キャラットを、底辺x高さ÷2の底辺同士で合わせました実に大胆なデザインのお洒落なリングでございます。

大粒のダイアモンドのリングというものは作る側も緊張するのか、冒険するのが恐ろしいのか凡庸なデザインが多いもの。ところがどうですこちら、なんとも遊び心が溢れた斬新かつ無駄のないデザイン。しかもオーダーメイドなのでしょう、リング枠も実に骨太、しっかりとした重厚感が着けた瞬間に伝わります。大粒イエローのトリリアントカットのまばゆい輝きはまさに未来永劫衰える事のない永遠の煌めきでございます。

このダイアモンドの輝きの一瞥のみで、見る人はその美しさに心を奪われ、瞬時死の概念、死への恐れは消え去るのです。

テック・ナット・ハンというベトナム生まれ米国在住の高僧がおられます。彼の著作に「死もなく、恐れもなく」という本がございます。

死やその他諸々の不安はどこから来るかというと、全てはその人の心が作り出す幻だと彼は説きます。

モンキーマインドといって、枝から枝へ絶えず飛び移り、休むことのない猿のような心。これを治める事が出来れば、自ずと死に対する不安は無くなるというのです。

言うは易く行うは難し。この思考が消えた状態こそが悟りと呼ばれる「無」の境地。しかし、これに達するには相当な修行が必要。

しかしほんの一瞬でしたら、息を呑むような美しいものを見る事によって、あなたの思考も止まるはず。

わずかなひと時ではございますが、こちらの強力なダイアモンドパワーによってあなた様もニルヴァーナ、涅槃の境地へ行ってみたいと思いませんか?

 

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グリーングリーングラスオブホーム

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お盆も過ぎますと季節も晩夏という事で、忍び寄る秋の気配がそこかしこに漂い始め、侘しいような、心細いような気分がふつふつと湧き上がってまいります。

この情感を、夏のはじまりとともに燃え上がり、その季節の終焉とともに終わりをつげた切ない恋の想い出と重ね合わせ、叙情豊かに歌い上げたのがユーミンこと松任谷由実がまだ荒井の姓を名乗っていた頃の名曲、その名もずばりの「晩夏」。

しかし、このような叙情効果も暑い夏があればこそ引き立つわけで、今年のような梅雨のような長雨、豪雨続きだと、もうまるっきり季節感が薄れてしまい、そう言った季節の移ろいを愛でる、あるいはそれに託し屈託の想いを歌にする、なんて悠長な事は言っていられません。

 

イギリスのSF作家J ・Gバラードがその作品「沈んだ世界」で描いた世界は、地球規模の気温の上昇により、極地の氷がすべて溶解し、地球上のほぼすべての都市が水没していまうという、ぞっとするような内容。

照り付ける灼熱の太陽の下、熱帯の植物が繁茂する高温多湿の残された土地で、何の有効な手立てもなく、滅びの道を歩む人類の様子がたんたんと描かれています。

最近の日本列島を襲う異常気象を目の当たりにし、昔読んだSF小説の不気味さがふと蘇ってまいりました。

バラードの小説では、ありきたりのスペースオペラのように、人類が目の前に迫った困難、危機を打ち破り、希望の明かりを見出す仕掛けなど一切見られず、実存主義の不条理小説の様に、人類に降りかかる艱難辛苦がリアルかつドラスティックに描かれ、読む人の心の内に不安を増殖するのです。

しかし、これはあくまで人類の視点に立てばこその感情で、実は地球は単に自らの、人に例えるなら免疫作用のような自己防御の働きにより自分の身を守っているだけなのかもわかりません。

スタジオジブリの名作「風の谷のナウシカ」の中で描かれている逸話。

最終戦争後の荒廃した地球で、腐海と呼ばれる猛毒を噴出する菌類の広がる地層奥深く、実は空気の浄化がその菌類によって粛々と行われているというエピソードもこういった生きている星、地球自体の有機体としての免疫のプロセスを暗示しているのではないでしょうか。

 

「国破れて山河あり」と漢詩の一節にある様に、人類の盛衰とは無関係に、まったく別の次元で地球は自らを修復する活動をダイナミックに行っているのです。

地球温暖化に伴う、大雨大洪水もそういう見方をすれば単に地球自身の修復作用、文字通りの自然治癒の活動なわけで、そんな修復作業を起こすきっかけは、さて誰が作ったのでしょうか。

 

SFの世界だけでなく、荒廃した大地をまず始めに癒す働きを担うのが、バラードの小説でも登場する緑豊かな植物の働き。

例えば、人口減少のせいでしょうか、近ごろなにかと目につく街中の廃屋。

住人のいない家屋というものは、その鬱蒼と草生し蔦絡まる様子で一見してそれと分かります。

こういった光景、人の眼から見れば荒廃したありさまという事になるのでしょうが、例えば神の眼で眺めたとすると、ヒトの傷が血液で覆われ凝固し、かさぶたとなり傷を癒すように、自然が本来あるべきカタチへ回帰しようという、癒しの過程と映るのではないでしょうか。

実際こいうった家屋に侵食してくる緑の草木を目にしましても、我々は例えば害虫などを見て怯え嫌悪するような感情は不思議と起こりません。それどころか、観光として訪れる風光明媚な景勝の土地などでは、その緑豊かな風景そのものを愛でる事が目的。

例えば、「目には青葉山ほととぎす初鰹」などと昔の有名な俳句に詠われておりますように、緑の木々が人々の心に与える癒し、安らぎの効果は計り知れません。

それはきっと我々も自然の一部で、独り人類だけが自然からかけ離れて地球上に存在しているのではないという証なのでありましょう。

 

ということで、今回は着ける方に癒しの効果を約束する、緑鮮やかなのジュエリーのご紹介という運びとなっております。

ご覧いただいておりますリングは鮮やかなグリーンガーネットが横二列に規則正しく並び、それを細かいダイアモンドが豪華に縁どり、グリーンと相性のよいゴールドの枠がしっかり支える構造となっております。

ガーネットと聞いてまず思い浮かぶのは、赤色系統のアルマンダイトやロードライトガーネット。しかし実際に魅力的なのはグリーンのガーネット。こちらのグリーングロッシュラ―ライトガーネットや非常に希少なデマントイドガーネットの類。

特にこちらのグリーングロッシュラ-ガーネット、別名ツァボライトとも呼ばれるこの石は、その緑色がエメラルドのそれとやや異なり、黄色味が強く鮮やかで照りもあり、如何にも葉緑素をふんだんに含んだ肉厚な植物の葉っぱのような色合い。

19世紀末から20世紀初頭に活躍したフランス人画家アンリ・ルソーが描く不思議な雰囲気をもつ絵画の中に、数多く出てくる熱帯のジャングルの鮮やかで印象的なグリーンがまさにこの色、この雰囲気。

見る者をして、その世界に思わず引き込まれそうになるルソーの絵画空間同様、グリーンのガーネットに引き込まれ、熱帯のジャングルを感じて頂ければ、何処からともなく、化鳥や野生動物の鳴き声がこだましてくるかも分かりませんよ。

 

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炎の癒し、ファイアーオパール

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夏真っ盛り、毎日暑い日が続きますが、皆様お変わりございませんでしょうか。

もうじきお盆という事ですが、最近ではすっかりお盆の行事というものが廃れ、かく言う私も仏壇に線香一本花一凛たむけるわけでもなく、ご先祖様各位にはまったくご無礼申し上げておる次第でございます。

私がまだ子供の頃には各家庭それぞれお盆を向けて、冥界から帰省するご先祖様の魂を迎えるべく、色んな拵えや飾りつけに余念がなかったように思います。

ただ、わたくしの育った家に関して言えば、母子家庭で男児二人兄弟の環境。母親一人が家事全般を取り仕切らなければいけなかった事も手伝って、ほとんどと言って良いくらいお盆らしい支度は無かったように記憶しています。

ただ、この時期に友達などの家に遊びに行けば、提灯や行燈を灯し、迎え火を焚き、仏壇周辺にはキュウリや茄子に爪楊枝を刺して造ったような動物やお花、お菓子、果物などを飾りつけ、盛大にお盆の機運を盛り上げ、ご先祖様の帰宅を寿ぐ?様子が垣間見られたわけでございます。

 

さて、このお盆の飾りつけにおける照明設備でございますが、西欧のクリスマスのピカピカ輝く電飾とは対照的に、提灯、行燈、灯篭といったぼんやり点るろうそくが光源の灯りが中心。

ろうそくの灯りと言いましても、もちろんわたくしが子供の頃より、火災防止の観点からすでに電灯にとって替わっていたわけですが、その電気の灯ももちろん、ろうそくの灯を模した白熱電球の輝き。

ぼんやり点った行燈が仏壇左右に設えられ、中央には百目ろうそくの炎がゆらぎ、祭壇からは線香の煙たなびく景色はいかにも厳かな雰囲気で、だらけがちな蒸し暑い夏をキリっと引き締めてくれるような効果がございましたね。

 

さて、このろうそくを光源といたします行燈、提灯、灯篭などの日本の伝統的な灯りに相通じるのが、ご覧いただいておりますファイアーオパールの輝きなのでございます。

ダイアモンドの輝きを最新のLEDの冷たく鋭い光に例えるなら、このファイアーオパールの輝きは本当に名前のとおり、ファイア、すなわち炎のような如何にも熱、ぬくもりを感じさせてくれる輝きではないでしょうか。

 

火災を例にとるまでもなく、すべてを焼き尽くす炎は本来恐るべきものであり、実際野生動物は火を本能的に恐怖するわけでございます。しかし不思議と人間だけは原始時代から火の利用、活用によって文化文明を築き発展させてきたと同時に、火や炎そのものに安らぎや、癒しを見出し、さらには死者の弔いや五穀豊穣祈願などのスピリチュアルな儀式には欠かす事の出来ない神聖なものと見なしてまいったのでございます。

キャンプでの焚火や暖炉の炎は実用面だけではなく、深く心を癒し、その場所の雰囲気を和ませてくれる働きがございます。また、洋の東西に関わらず、あらゆる宗教儀式においての蝋燭や護摩行などによる炎の演出は、邪気を払い、聖なるものを讃えるしるしとされてまいりました。

事実、拝火教とも言われる、偶像ではなく火そのものを拝むゾロアスター教という宗教すら古代ペルシャに存在していたそうでございます。

 

さて、そのような心を癒し、死者の魂を鎮める輝きを本物の炎に替わって、常に携帯できるという便利な指輪がこちら。

 

この指輪、真ん中には、1.78キャラットの大きすぎず、また小さすぎない、そして山高の姿の良いころ合いのカボッションにカットされました、オレンジが鮮やかなファイアーオパール。これを四本の爪でしっかとリング枠に留めまして、それを細かいメレダイアモンドがひと巻きぐるっと囲みます。さらには、腕にも左右三つずつ小さなプリンセスカットダイアモンドがレール留めで留められているといった、なかなか凝った造り。

そして、何をおいてもこの中石のファイアーオパールの游色効果、プレイオブカラーが実に良い。

写真ではなかなか上手く伝わりませんが、指にはめ、微妙にあらゆる向きに動かして頂きますと、石の奥底より黄緑色の細かい煌めきが、あたかも勢いよく燃え盛るたき火が、中心から爆ぜるようにメラメラと湧き出してまいるのでございます。

この文を書きながらも、その様子を眺めて、ついその神秘的な美しいサマに思わず書く手が止まり、見入ってしまうくらいなのでございます。

さて、神様仏様極楽地獄死後の世界などという事にとんと無頓着な罰当たりなわたくしではございますが、そんな非道な人間の心をもつかみ、癒しを与えてくれる聖なる炎の輝き。

最早この世には無いご先祖様にではなく、毎日が大変な人生を生きてるあなたへの癒しのお守りとしておひとついかがでございましょう。

 

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貴女を強く印象付けるピアスの輝き

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人生も黄昏時に差し掛かってまいりますと、不思議と幼い時の記憶の断片が、古池に湧き上がってまいりますあぶくのように、ふと浮かんでまいります。

それは明方の夢の中であったり、はたまた通勤途中の電車の中の白日夢であったりと場面は様々なのですが、その時の状況とは何の脈絡もなく唐突に脳裏に去来するのでございます。

 

つい先日も帰りの電車の車窓から、暮れなずむ空に広がる茜色に染まった雲を何気なく眺めておりますと、急に昔見たクルマについていた三角窓の記憶が不意に浮かび上がってまいったのでございます。

あれはまだ、私が幼稚園に行くか行かぬ頃。早世した父の勤めていた会社の社宅に住んでいた時の頃でしょうか。

当時はまだ道路の舗装も普及しておらず、住宅街と言えども砂利を敷いたような道だったように思います。

その未舗装の砂利道に停車していた車は、きっと当時の事ですから、初代のトヨペットクラウンかなにかで、今から思えば光岡自動車が作ってるような如何にもクラッシックカーという趣の車だったに相違ありません。

当時はまだ自家用車というものは一般家庭には馴染みがなく、きっとそれはタクシーか社用の車かだったのでございましょう。

幼児の背丈からすると、きっと今眺める大型トラックほどの重量感、迫力で当時の私の眼には映ったことでございましょうが、それよりも、というかその車全体を強く幼い私の脳裏に印象付けたのが、三角窓の輝きだったのでございます。

 

自動車の三角窓などと申しましても、今の方にはまったく馴染みのないもので、何のことやらと当惑されている方がほとんどだと思うのですが、これは車内の換気や、エアコンの無い時代、自動車の走行に伴う送風による冷房の為に設けられた工夫。大抵はフロントドアのウィンドウの前方部分に装備され、縦軸方向の可動により人力にて開閉する仕組みになっていたのです。今でも、たまに街で見かける古いタイプのフォルクスワーゲンビートルにこの装備を見る事ができます。

 

その時は車の中にきっと運転手か誰かが乗っていて停車していたのでしょう。三角窓が開けられており、その開いた角度がちょうど太陽光線を反射して、まるで三角形のライトの様に明るい光を放射していたのです。

さて、その反射した日光が朝日か、夕陽か、昼間のものか、あるいは母や祖母が一緒にいて、その光について問いかけをしたかどうか、また車の車体の色がどうだとかいう事はもう半世紀以上も昔の出来事なのでまったく記憶の埒外でありますが、その鮮烈な輝きにたいする驚きが車の印象と共に幼い私の脳裏にしっかり残り、鮮やかな記憶として刻み込まれたのでございましょう。

 

一瞬の煌めきが人間の記憶に与える効果を期せずして体験した幼子の私でございますが、この作用、仕組みこそが、文字どおり光り物と言われる、宝石、宝飾品がファッション、服飾、美容の分野で果たす重要な役割となっているのでございます。

 

ファッションにおけるジュエリーの重要性は今更申すまでもございませんが、実際いかに高名なデザイナーのワードローブで着飾ろうとも、最後の仕上げともいえるジュエリー、アクセサリーといった装飾品の存在無くしてその完成を見る事は出来ません。料理の盛り付けではありませんが、最後の仕上げは光のアクセントでフレーバーを効かすわけでございます。

さらに、もはやファッションの一部とも言える美容の観点からも、ジュエリーの応用、特に美顔においてのイヤリング、ピアスの存在はメイク術と切っても切り離せぬ関係性が有るようにうかがっております。

数あるコスメティックの中にはハイライトといって、肌に塗布して顔色をよりよく見せる顔料があるそうでございますが、実際派手やかなお色の耳飾り、首飾りをお着け頂きますと、これと同様の効果をそのお顔の表情にもたらすことができると言われております。

さらには、また小さくとも輝き鋭いダイアモンドのピアスなどをお着け頂きますれば、幼き日のわたくしが自動車の三角窓から得たと同様のインプレッションを見る人に与えることが可能となります。すなわち、閃光のような一条のダイアモンドの輝きが、あなたの印象を強く見る人の心に焼き付ける事となるのです。

実際、無邪気な童子が長じ、むさくるしい青年へと成長を遂げた私は、今度はこの耳朶からの閃光のせいで多くの女性の印象を心に強く焼き付けられる羽目とあいなり、叶わぬ片想いの苦い記憶とともに、今でも明方の夢から涙ながらに目覚めるのでございます。

 

さて、あなた様もこちらにお示しいたしました、ちょっと珍しい角ダイアのピアスの透明な輝きでもって、世の男どもの心に、消すに消せない鮮烈な印象を焼き付ける罪作りな女になってみてはいかがでございましょうか?

 

こちらのダイアモンドピアスは、買い取ったりした商品から外してパーツとしてストックしているダイアモンドの中から厳選して拵えた、当店のオリジナル商品でございます。

こういった四角い形状のダイアモンドは、大きい色石のリングの脇石として良く見かけるタイプで、ステップカットあるいはバッケットカットと呼ばれる長方形にカットされたダイヤモンドでございます。こういった形状のダイアモンドはラウンドブリリアントとはまた趣が異なり、キラキラした煌めく光ではなく、透明で、まるで鏡からの反射光のようなストレートで純粋の光の反射を見る人に届けます。

こういったステップカットのダイアモンド、カット面がラウンドに比べて少ない分、ごまかしが利きませんのでキズや色味はすぐ目に付きます。しかしこちらのペア、よほど良い中石のお供だったのでございましょう、クリーンで無色透明。非の打ち所がございません。

 

この非の打ち所の無い透明純粋無垢の輝きこそが、あなた様の非の打ち所を見事消去せしめ、あたかも地上に降り立った女神の如き印象を、健全な青少年から脂ぎったオヤジまで、全ての男性の脳裏に深く刻み込まずにはおかないのでございます。

 

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真夏のホラーの一席

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夏の風物詩と申しますと昔から西瓜にかき氷、ビールに枝豆、浴衣に風鈴、花火に蚊遣と相場は決まっております。

ただ最近は季節感が薄れてきたとかで、そういった風情を愛でる、楽しむてな風流はとんと下火だそうで。

 

もののけ、幽霊 妖怪のたぐいなども、昔から夏場の流行りモノと相場は決まっているようでございまして、扇風機やクーラーなんてものが無かった時分に、ぞーっと胆の冷える恐ろしい気分を味わって涼を取ろうなんて言う、庶民の苦し紛れの工夫がそもそもの始まりだそうでございます。

 

さて、普段は陽気なお笑いが売り物の寄席ではございますが、夏場ともなりますと笑ってばかりじゃ汗が噴き出てたまらない。少しはお笑いの合間に涼を取る工夫をしなければ、という事で、普段は毎度ばかばかしいお笑いの一席を演じる噺家さんが、身の毛もよだつおどろおどろしい怪談噺を演じるという事にあいなったのはそういう事情があればこそ。

 

さて、落語の怪談噺を語る上で、いの一番に挙げなければいけないのが三遊亭圓朝という江戸明治の時代に活躍した名人の誉も高い大師匠。

名人上手と呼ばれる噺家数あれど、この人の上手さは頭抜けて凄く、その凄さゆえに先輩後輩同僚はおろか自らの師匠からすら疎まれ、嫉妬をかい、陰湿ないじめを被ったというのでございます。

どのような、いじめかと申しますと、この人の得意な演目を本人の出番が回ってくるまでに他の噺家が先を越して演ってしまうという嫌がらせ。普通は寄席内の暗黙の了解があって演者それぞれが遠慮し合って上手く回していくところをわざと意地悪をして得意の出し物を封じてしまおうという魂胆。しかも自らの師匠が率先してするのだからたまったものではございません。

 

しかしこれでへこたれる様なヤワな圓朝ではございません。それじゃあ他の噺家が先回りのしようの無い、自分にしか演じることの出来ないオリジナルの噺をこさえて演ってやろうじゃないかてんで作った話の数々が、これまた後世に残る名作揃い。

中でも代表作の一つと言われる「真景累ヶ淵 (しんけいかさねがふち) 」は全九十七章からなる超大作。とてもいっぺんに語ることなどできない大河ドラマ顔負けの一大スペクタクル。

内容とて落語とは名ばかりのシリアスな人間の欲と業の絡み合い。またその末に生じた殺生沙汰によって殺された者の怨念が亡霊となって祟り、更にはこれが子々孫々まで続く因縁因果となり、陰惨な物語が螺旋の如く繰り返えされるという。まさに背筋も凍る怪談噺の傑作なのでございます。

このお話があまりによく出来ているという事で、後年映画になったり、歌舞伎になったりと大層な人気を博したわけでございます。

残念ながら、三遊亭圓朝師匠のオリジナルの高座の音源は昔の事とて、現存いたしませんが、その孫弟子あるいはひ孫になるのか定かではございませんが、昭和の名人と言われた三遊亭圓生師匠がこの「真景累ヶ淵」を得意の演目としており、現在も在りし日の名人圓生の話芸の粋をYouTubeなどでお楽しみいただけます。

ご興味のあるお方は是非そちらの方で。

 

とまあここまで引っ張っておいての今回は宝石、宝飾品の中のオバケの話。

わたくしがまだ宝石店に勤務いたしておりましたバブル前からバブル期にかけて、日本中はまるで熱に浮かされてるかのように好景気に浮かれ騒ぎ、もう毎日がお祭り騒ぎ、年中ブラジルのサンバカーニバルの様な体。

不動産価格はずっと右肩上がりで、地上げ屋などといわれる胡散臭い連中が暗躍し、

普通の主婦ですら株取引に手を染め、ひと月で何百万儲けたなんて話はざら。

どの企業も業績絶好調につき決算賞与に海外社員旅行と、もうどちら様も大層な大盤振る舞い。

さて、そんな時によく売れたのが宝石のオバケ。

オバケたって、なにも指輪に卒塔婆がたって人魂が青白くその上を浮遊しているわけじゃございません。平たく言えば大きさ重視品質軽視のジュエリーなわけであります。

分かりやすい例えでダイアモンドを例にあげれば、DカラーVVSIの透明度、エクセレントのカットグレードの0.5カラットのダイアモンドよりも、Mカラー、I2の内包物どっさりのカットがプアーで3カラットの大きな方が断然人気。

「そんなもんな、石の良し悪しなんか素人には解らへんねんて、なんせ大きさやて。ガツーンとはったりかませるようなん嵌めてやんと舐められんで、ほんま!」とまあそんな如何にも、あぶく銭をつかんだ、にわか成金的風潮が世間一般に広がり、オバケ宝石の需要は高まったのでございます。

先ほどは分かり良いようにダイアモンドを例に挙げましたが、実際のオバケ宝石の主流は色石でありました。ダイアモンドはどうしても鑑定書というものが付いてまいりますので、そこを突かれるとマズイわけなのでございますが、色石はそんなややこしいものは無い。

20,30,40キャラットを優に越える、灰色不透明なスターサファイアや赤かぶの様な色の不透明なインドスタールビー、ラッカーで着色したような不透明で濁ったヒスイ、内包物だらけのまるでストーンウォッシュ加工かと見まがいようなエメラルド。

そんなデカいだけで何の美しさも魅力も感じられぬオバケ宝石がよく売れてたのでございますが、果たしてみんないったいどこに行ったのでしょう。オバケだけに無事な成仏を願わずにはおれません。

品質重視の当店におきましては、あいにくオバケの見本になる様な手ごろな商品がございません。

そこで、お化け同様滅多にお目にかかる事の出来ない幻の希少石を良い意味でのオバケという事でここにご紹介いたしとう存じます。

 

さて、こちらのグランディディエライトという舌を噛みそうな宝石名の石、実はわたくしもまったく知らなかった宝石なのでございます。実際わたくしが宝石屋に勤務しておりました頃は商品として流通すらしていなかった。バブル紳士淑女がどうあがいたって手に入れる事すらできなかった、まるでオバケのように存在すら不確かな宝石なのでございます。

実際この宝石が最初に発見されたのは1902年ということなのですが、このような透明の宝石品質の結晶が発見されたのは今世紀初頭のこと。

なにせ、かの世界的な経済誌「フォーブス」にレッドダイア、ターフェアイトについで世界で3番目に高価な宝石と評価されたそうでございます。

いかがでございましょう、この清涼感あるマリンブルーの輝き。まさにこの夏の季節にピッタリなクールなイメージ。しかも誰もこの石の正体を見抜ける人がいないという怪奇現象を引き起こす実にミステリアスな宝石。

 

「あら、素敵なアクアマリン」

「いえ、アクアマリンじゃないの」

「ブルートパーズ?」

「ブー!」

「じゃ何?教えて」

「オバケ」

 

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ギメルダイアリング神聖な輝きの秘密

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「玉磨かざれば光なし」などと申しまして、折角のもって生まれた天賦の才も、たゆまぬ努力によって研鑽し続けなければ、その真価は発揮されない。というほどの意味の格言でございます。

現在行われております東京オリンピックに出場しているアスリートの諸氏たちはそういった才能と努力の融合が見事に実を結んだ見本のような人たちばかりでございましょう。

 

その点悲しいかな、わたくしなんぞは、何の才の持ち合わせも無き十羽ひとからげの凡人としてこの世に生を受け、その上何の努力も切磋琢磨も修行もせぬまま、その日暮らし無為徒食暴飲暴食の生活を長きにわたっておくってきた顛末として、かくのごとくに貧しく、うらぶれた果てた孤独な年寄りとなり、無惨にも朽ち果てた老醜を世間に晒し、恥を忍んで生きているような有様でございます。げに恐るべきは、お釈迦様の説かれた因果律の道理でございます。

 

さて、「玉磨かざれば光なし」の格言、一般的な広義の意味合いは上述の如くでありますが、わたくしが長きにわたって調査研究いたしてきました東洋体育、すなはちヨガ、気功、陰陽道、漢方医学、整体などの観点から論ずる場合、見解がいささか異なるようでございます。

東洋では心身健康の要諦、さらには宇宙を司る原理原則の根幹に位置する概念が「気」あるいはヨガで言うところの「プラナー」と呼ばれるもの。

「気」とは簡単に言うと、元気の「気」の事であり、一種の生命エネルギーであります。

「気は意によって導かれ血がそれに従う」と言われるように、東洋医学では気の滞りが病気を引き起こし、逆にその気を意識の力で体内にこれを能く巡らせることができれば、健康長寿の道は開けるという考え方で、これこそがヨガや気功の根本理念でもあるのです。

 

ヨガ、特にクンダリーニヨガと呼ばれる流派は、クンダリーニという言葉自体がこの気そのものを表しており、この気を開花させる、すなわちクンダリーニの覚醒を起こし、そのエネルギーを操る事を主眼に置いたヨガであります。

また、中国で盛んな気功もこの生命エネルギーである気を身体全体に巡らせる事を大周天、小周天などと呼び、ヨガ同様この気の体内循環が重要視されております。

 

このヨガと気功には共通する点が多くあり、これはヨガが仏教などの伝播と同じくインドから中国に伝えられ、気功に発展したという説もあるのですが、そもそも人体における原初の気、あるいはプラナーの発生すると言われる場所がヨガ、気功ともにまったく同一の身体の部位なのでございます。その部位とは日本で言うところの臍下丹田という身体の一部、つまりお臍からさらに下の下腹部の体幹部あたり。気功ではこの場所を気海と呼び、ヨガではクンダリーニというエネルギーの蛇がとぐろを巻いて眠っていると言われる、ムーラーダーラチャクラと呼ばれる場所がそれです。この思想が日本に渡来し武道の基本、胆力を育むと言われる、先述致しました臍下丹田の教えへと移行したものと考えられます。

 

さて、この臍下丹田、気海に眠るエネルギー、クンダリーニの蛇が目覚め活性化されるとどうなるかと申しますと、丹田から頭頂へとエネルギーが火山噴火のマグマの如くに一気に上昇いたしまして、身中はエネルギーが満ちあふれ、頭脳の回転が飛躍的に向上し、洞察力がまし、更にはサイキックなパワーが開花し、アニメでお馴染み、ドラゴンボールにおけるかめはめ波の波動の放出が可能となります。さらに心は愛と慈しみに満たされ、最終的に解脱、悟りの境地に至るそうでございます。

この丹田に秘められた無尽蔵の気のエネルギーの開放こそが真の意味での「玉磨かざれば光なし」の格言が指し示すところの、東洋における超人思想の根幹をなすものなのでございます。

 

さてこのクンダリーニ上昇のメカニズム、実は不思議な事にダイアモンドの輝きのメカニズムと見事に符合するのでございます。

そもそもダイアモンドといっても原石の時からピカピカ、キラキラと輝いているわけではなく、カットに一番適していると言われる理想的な原石の形、ピラミッドを上下に合わせたような正八面体のソーヤブルと呼ばれる良質な原石でさえ、見た目は氷砂糖か氷の欠片の様な状態で、決して目を見張り驚くほどの美しさではございません。それを皆様お馴染みの、まばゆいダイアモンドの輝きに昇華させているのがダイアモンドカット研磨の技巧。

特に1919年にマルセル・トルコフスキーによって開発されたラウンドブリリアントカットはダイアモンドを最も輝かせるように屈折率等の光学的特性を十全に考慮した結果生まれた宝石ダイアモンドの究極的な形。

 

このカットの仕組みを簡単に説明いたしますと、ダイア上部のクラウンと呼ばれる部分がレンズの役目を果たし外部の光を集めます。そしてその光はダイア下部のパビリオンと呼ばれる部分へと導かれ、そこで光が外に漏れ透過する事無き様周到に設計されたパビリオン角度の妙によって、再び光は全反射され上部に跳ね返され、お馴染みのまばゆい輝きとなって見る人の眼に映るわけなのでございます。

まさにこの下部に蓄えたエネルギーが眩い光となって放出される仕組みこそ、人体におけるクンダリーニの上昇そのものではございますまいか。

もちろんクンダリーニの覚醒がすべてのヨギ、すなわちヨガの修行者に起こるわけでないのと同様、ダイアモンドにおいてもこのラウンドブリリアントカットの精度が高くなくてはクンダリーニのような神々しい光を得る事はできません。

 

という事で、いつもの事ながら談志師匠のような長いマクラ、前置きとなってしまいまことに恐縮でございます。

 

さて、お立合い!

ここにお示しいたしたるは、かのギメル社製ダイアモンドパヴェリング。

この指輪、豪華にセットされておりまする宝石は大小すべてが言わずと知れたダイアモンド。

これらすべてのダイアモンドは一つとして欠ける事のない、最高のカットが施された最高品質のダイアモンドでありまする。

がゆえに、まさにムーラーダーラチャクラより上昇すると言われるクンダリーニのエネルギーかと紛うばかりの神々しい輝きがすべての石から発せられ、あたかも発光しおるやと人の目を欺くほどの強い光が目も眩むほどの輝きで煌めいているのであーる!

そして驚くことなかれ、この輝きの一瞥のみによって、ある者には真我の目覚め、則ち覚醒、エンライトメント、悟りが訪れるというから凄まじい!まさに驚異のクンダリーニパワー!

百聞は一見に如かず。さあ、すかさず買い物籠に進み、自らの秘蔵の家宝として存分にお楽しみくだされい!

 

ナマステー

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