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ハリー中野の宝石コラム

あばたもエクボ、識別特徴の魅力

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只今、大変な人気の料理のお兄さんリュウジさんのバズレシピの動画を見ながら、見よう見まね、ハイボールのがぶ飲みまで真似しつつ、お兄さんに料理の指導を受けながら夕食づくりにいそしむ最近の休日。

つい先日も、「至高の豚汁」なる料理をスマホ観ながらで拵えては見たんですが、出来上がりがイマイチ物足りない。何が物足りなかったかというと、豚汁には欠かせないゴボウの風味。

リュウジお兄さんは、ちゃんと最初からゴボウは洗いすぎないでと注意喚起してくれたにもかかわらず、何せ慣れないものだから加減が分からない。どうもまだ土がついているようで不潔だなーという事で、綺麗に洗いすぎてしまったんです。チクショウ!上手く出来たと思ったら、普段ずぼらな僕が、こともあろうにゴボウの土だけ神経質になっちまって、悔しー!という事でリベンジマッチ。第二弾豚汁作りを敢行。さて、今回はまだ茶色の部分がかなり残ってるゴボウを恐る恐るごま油で炒めて料理を完遂させて、いざ実食。

旨い!これやこの味。土の味。そうか、ゴボウの旨味は土の味やったんや。

毒食らわば皿までなどと言いますが、ゴボウ食らわば土まで言うこっちゃね。

さて、何事もきれいさっぱり、無味無臭が良いかというとさに非ず。臭みエグミと言うものも場合によってはかえって魅力としてプラスに作用することがございます。また、同じ匂いでも漂ってくる匂いの発生源によっても嫌悪感もよおす悪臭にもなれば、興味をさらにそそる香にもなりえます。例えば魚の生臭ささも豪華に盛り付けられているご馳走の皿から漂ってくるのと、ごみ箱から発生しているのでは大違い。いい香りのオーデコロンも、素敵なイケメンから薫る場合は、もちろんそれを嗅ぐ婦女子を夢心地にいざなってくれるのですが、後頭部の頭皮が段々畑状態を呈している様な脂ぎった中年肥満オヤジの垢に汚れたシャツの襟元から漂ってくると、元の体臭、加齢臭の目くらまし、煙幕としてのコロンのフレグランスのはず。この香りの陰には必ずや邪悪な吐き気を催す悪臭が隠れているに違いないと勘繰られ、より一層婦女子の不興を買う羽目となります。

さて、宝石とて同様。一般的にキズとしてかたずけられる結晶内部の内包物。これをすべてダイアモンドの基準にあわせて、無傷が最高と決めつけてはいけません。

ご覧いただいております指輪に留まっておりますクリソベリルキャッツアイも、実は石の内部にある内包物、針状インクルージョンの働きによってこの猫の目のような摩訶不思議な光学特性が生まれるわけなのでございます。もしこの内包物が無い、内部がクリーンな石だと、これは単なるクリソベリルということになり、味もそっけもない褐色な透明石として、宝石の価値自体もキャッツアイに比べ大幅に低減致します。また。このキャッツアイ同様、特殊効果石の一方の雄とも呼ぶにふさわしいスタールビーやスターサファイア。これらの石も内部にある60度の角度で交差する針状インクルージョンによってアステリズムと呼ばれる六条の光を放つ、お星さまの様な光学特性を示すのでございます。

ただし、このキャッツにしましてもスタールビーやスターサファイアにいたしましても、その内包物が多けりゃ良いと言うものでもございません。何事も過ぎたるは猶及ばざるが如しなどと申します通り、針状インクルージョンが多ければ多いほど、理屈から言えば、よりはっきりと力強く、猫の目、あるいは星印は出るのですが、その分宝石の透明度が落ちて全体的に白っぽく濁った感じになってしまうのです。ゴボウの土の香りが良いからと言って、泥にくるまれたままのゴボウを鍋に投入してしまっては、豚汁ならぬ泥汁が出来上がるが如くでございます、ってそんな奴おらんやろ。

インクルージョンがあってこその特殊効果とインクルージョン無用の透明感。この二律背反する要素の見事なコンビネーションのつり合いこそが、美しい宝石を生み出す鍵ともなるのでございます。

またこの宝石内部のインクルージョンは別名、識別特徴とも呼ばれ、その宝石の正体そのもの探る手掛かりになったり、産地の特定の手がかりともなるのです。

例えば、有名なところですと、最高の品質のものが多く産出されますコロンビア産のエメラルド。このエメラルドの特徴が三相インクルージョンと申しまして液体、気体、固体が一塊のインクルージョンとしてエメラルドに内包されていると言うもの。すべてのコロンビア産エメラルドにこの特徴が内包されているとは限りませんが、これがあればコロンビア産で天然である証。

一度ご自宅にあるエメラルドの鑑別所を確認して見られてはいかがでしょう。

この宝石の中にあるインクルージョンによる宝石鑑別にあなたの興味が移りましたなら、あなたはもう立派なミネラルマニア、鉱物オタク。宝石好きからさらに一歩進んだ、鉱物内部のミクロの世界から地球の誕生、成長の歴史に夢をはせるといった新たな楽しみが生まれると言うもの。

いかがです?まずはルーペ一つで始められますよ!

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柳田國男的フォークロア感漂うネックレス

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若い時分は、聴く音楽と言えば洋楽一辺倒。ツェペッリンとかツベルクリンとかさぁ、よく聴いたもんだけど、歳とるとやっぱり日本人、演歌が身に染みるのよねー。居酒屋で独り侘しく独酌なんかしてる時に、吉幾三の「酒よ」なんて流れてくると、なんか知らず知らずのうちに昔別れた彼女を想い出したりして、泣けてきちゃうんだよねー、なんてしみじみ語るご同輩が多い中、未だその境地に至らぬどころか、ストーンズの「ホンキートンク ウーマン」なんぞがかかると、年甲斐も無く劣情を催したりいたします。ウソやけどね。あっ、ストーンズ言うても今人気のジャニーズの方ちゃうよ、イギリスのファンキーな爺さん達のほうやからね、言うとくけど。

ただし、やはり食べ物の嗜好は肉体の衰えとともに変わってまいりました。こちらの方はきわめて一般的な老化の兆候と一致して、肉から魚、デミグラスソースからポン酢、洋から和食へと確実に移行いたしております。不思議なもので、若い頃は見向きもしなかった食べ物、例えばおせち料理に欠かせない「酢ゴボウ」なんてのが予想外に旨く感じられるのは、やはり老いた身体が欲しているせいでしょうか?なるほど不思議なもんで、そういう身体が欲する食材を食しますと、不思議と枯れた肉体にも劣情が湧こうかというもので、って、もうエエ?すまんの

さて、最近はシルバーと呼ばれる年齢になられても、皆さま方極めて若々しい装いをなさってておられ、うしろから眺めただけでは、お嬢さんかお婆さんか見分けがつかないくらい。念のため前に回って確かめると、おじさんだったなんて場合もあり、性の解放とも相まって、まったく結構なことでございます。

さて、そういった年齢、性別の垣根を超えたファッションの自由化のなかにあって、シルバー世代のごく一部のご婦人方に、独特の装いが流行しているのを皆さまはお気付きでしょうか?

不覚にも、わたくしなにぶんにも世事に疎い田舎者ゆえ、ファッションに関しましてもトンと暗く、こういった装いをなんと呼ぶのかすら存じ上げないのでございますが、シルバー世代にあって、敢えて若作りの道をきっぱりと打ち捨て、老境ならではのその枯れた風情を引き出すと言うのか、引き立てると言えば良いのか、そのファッションは老境に差し掛かった日本のご婦人の生活を、懐古趣味ともども楽しむ装いなのでございます。

その装いをされている方々は街角でも、そう頻繁に見かける事もございませんし、またその見かけがどちらかと言えば、というかはっきり言って地味なため、目立たないということもございますので、わたくしの拙い説明で、あー、なるほどと判って頂けるかどうか、甚だ心許ないのでございますが。

さて、そのファッションとは藍染の生地を基調として、かすりの着物などのリフォーム、リメイク、パッチワークを枝葉とする手作り感あふれる、和洋折衷風な装い。昔の農家のおかみさん風のかすりの着物にもんぺ姿を現代的にアレンジ、発展させたようなファッションと言えばお分かりいただけるでしょうか。

ひと昔前、一部のオヤジ達の間で仏教僧の作業着である作務衣と言うものが流行った事がございましたが、それと同じような流れの女性版ではないかとわたくし睨んでるのですが、定かではございません。

こういったファッションスタイルは所謂トータルなコーディネーションが重要らしく、バッグや財布、小物に至るまで、藍染の生地やかすりの着物の端切れとかでのリメイクによるお手製で、パッチワークなどの細工をふんだんに凝らし、オリジナル感をより一層強調されている風に見受けられます。そういったところから推察するに、これは手芸好きの趣味が高じて、このような新たなファッション形態へと進展して行ったのかな、とも想像するのでございますが、これもあくまで推察の域を出ません。

いずれにしましても、地方のショッピングセンターなどには、明らかにこうした服飾の嗜好をターゲットにしているであろうお店が、数多くは無いにしても実在し、中高年の女性がなにやら一つのサークル仲間のように、コアな顧客層を形成して集い、楽し気に歓談している光景を目に致します。

そういったお店、こういったファッションに惹かれ、集まる顧客女性の特徴はナチュラリスト、ベジタリアン、有機農法実践者などといった、こだわりのライフスタイルを貫き、生活の木みたいなお店でハーブやアロマ、天然由来の化粧品や洗顔、シャンプーなどお求めになり、地球にやさしい身体にもやさしいライフスタイルを実践されているのでありましょう。そのナチュラリストぶりはナチュラルメイクや毛染めしないままの、グレーヘアーや銀髪に反映されて、老いた姿を無理に隠そうという悪あがきが見られません。重ねてきた経験、苦労が現れた年輪を堂々とさらけ出す潔さが、かえって清々しい感じさえ見る人に与えます。

さて、そう言った人生の終盤に差し掛かり、酸いも甘いも嚙み分けた、こだわりのご婦人にお薦めしたいのがこちらのネックレス。

素朴を愛するナチュラリストといっても修道女じゃないんだから、そこはやはり腐っても女性、いや、失礼。光り物で身を飾りたいといった女の業の焔はおいそれとは消せません。そういった方の多くは、やはりアクセサリーやジュエリーにもこだわりがうかがわれ、勾玉やアンモナイトのペンダント、パワーストーンのネックレスやブレスレットなどをお着けになる傾向にあると想像するのですが、そのような安易なアクセサリーを遥かに凌駕するのが、こちらのペンダントネックレス。

こちらは、円形のオニキスの台座に如何にも和柄といった蛙と植物の風情を立体的な細工であしらわれておりまして、それぞれの細工には、グリーンガーネットとカラーサファイアの細かい結晶が、彫り留細工でセットされ、それが同時に彩色効果をも担っております。

現代的なダイアモンドや色石のペンダントネックレスはちょっと藍染、かすり柄には合わないとお悩みのお方はぜひともこちらをお試しいただきたいものでございます。これによってあなたの民芸調蕎麦屋女将スタイルのトータルコーディネートは見事完成される事でございましょう。

 

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コンクパールはイチゴミルクの味

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「宝石商見てきたような嘘を言い」という箴言があるように、まことに宝石を商う者の中には口から出まかせ、針小棒大な大風呂敷を広げてお客を惑わせ、良心の呵責を微塵も感じぬ者が少数ながらも見受けられるのは、甚だ残念な事でございます。

大体宝石というものは、そのほとんどが海外で産出され、輸入されているのですが、その販売に携わる者は、如何にもその現地の採掘現場や現地の取引所などを訪れたかの如く語るのですが、そのほとんどは、仕入れ先からの受け売りや、書物によって得た知識。

「こういった本ヒスイ、いわゆるインペリアルジェイドの良いものになりますと、ビルマのウル渓谷周辺でしか採れないのですが、もうそこまでたどり着くのが一苦労。なにせ海抜千メートルを超える標高の未開の土地。まともな道などございませんから、当然車でなんか行けません。採掘工夫たちは重い採掘道具をロバの背に乗せ、徒歩で歩く事丸五日。途中で峻烈な崖から転落して命を落とす人馬も珍しくはないと言うほどの大変な苦難呻吟の末、ようやく採掘場現場にたどり着くのです」などと口から出まかせを語るのですが、産地をわざわざビルマやセイロンといった旧国名を使い、よりそれらしく演出する裏技も忘れません。

さて、そうした宝石屋の成れの果て、落ちこぼれジュエラーのわたくしですが、新卒で宝石屋に就職致しまして配属されたのが、当時大阪梅田、阪急三番街にございましたハンドバッグ専門の支店。宝石屋に勤めたはずがハンドバッグ屋かよと、就職そうそう出鼻をくじかれた形でいじけておりましたところ、なんとそこの店の店長さんは、その店の店長に就任するまでは心斎橋の本店で外商部のトップセールスとしてバリバリ宝石を販売していたという凄いやり手のセールスマンだったという事。しかし何事も過ぎたれば及ばざるが如しと言いますが、あまりに派手に活躍したが故に上司から目をつけられ、バッグ専門店に左遷の憂き目にあってしまったのでございます。きっと当時のその人の上役がその実力のすごさに、自分の地位を脅かす存在と察して、先手を打ったに違いないという噂でありました。

さてそのおじさん、といっても当時店長はまだ32、3才だったはずですが、今から思っても随分世慣れた感じの短躯肥満の体つきで、いかにも精力的。見た目は宝石商というより、どちらかというと不動産屋、土建屋という感じ。ムードや見かけの良さを販売に繋げる事の多い宝石セールスにあって、押しとバイタリティーと行動力で売上を積み重ねる、本物の実力派営業マン。なにせこの人、本店外商時代は宝石だけじゃなく電化製品から羽毛布団まで顧客に売りつけていたほどらしいのです。

さてある日、私がその店にある高級バッグの一つ、なんとあのエルメスの下請けをしているという、フランスにある某工房が作っているというバッグ、聞いただけでなにやらいかがわしい感じですが、それをお客さんに説明しておりますと、色違いの有無を聞かれました。それを店長に確認しますと、そこから店長は心許ない新入社員のわたくしから、その店長が上客とにらんだお客さんを引き継ぎます。

「じゃあ、ちょっと工房に確認してみますので、しばらくお待ちください」と言うや否や店長さん受話器を取って、電話をかけ始めるじゃないですか。(えっ?フランスにかけてんの、もしかして)と、あっけに取られてる私を尻目に「ハロー、ディスイズ ○○(店長の名前)スピーキン。オー、ハイ!ハウヤドゥーイン?」なんて突然英語で話し出すじゃないですか。もうびっくりしている新入社員の私を無視して会話を終えたを店長、電話を切るとお客さんに向き直り。

「お待たせいたしました。今はあいにく、工房の方にも作り置きのストックは無いそうですね。何せ天下のエルメス様優先、自社品は後回しらしいんで、ちょっと今後の上がりも読めないみたいですねー」

なんて言いながら、結局そのお客さんが色違いを尋ねられた元のモデルを最終的に言葉巧みに押し込んでしまいました。

さてその後、感心した私が、「フランスに国際電話ですか?凄いですやん!しかも英語で!フランス人も英語話すんでっか?」と矢継ぎ早に店長に問い質すと

「お前は馬鹿か?内線の電話でどうやって国際電話かけられるんや?」

確かにそう言われれば店長が握っていた受話器は社内の各支店や各部署にしか繋がらない内線電話。

「いや、それでも電話で話してはりましたやん?何喋ってはるか分かりませんけど、ハロー言うて」

「わからん奴やな―、芝居やお芝居、独り芝居。大体地球の裏側のフランス今何時やねん?みんな寝とるぞ」

「はー?」

「あれの色違いは、今この店にも、たしか本店にもないはずや。しかし、ただありませんじゃ、そうですかで終わってしまうやろ。一つのドラマを作って客を飲み込んでしまい、今有る現物を売るの技や、解かった?覚えときや」

「へー!」新入社員のわたくし、商売の機微に初めて接したと感じた瞬間でした。

さてそれから15、6年ほどたった頃でしょうか、本店に配属になっていたわたくしは、ある展示会の最中、ちょうど来場が他の得意先と重なった同僚社員のお客さん、まだ年若いカップルでございましたが、をその担当の代理で接客いたしておりました。

たまたまコンクパールのリングがお目に留まり、その頃はもうこちらも慣れたもの、如何にも見てきたような知ったかぶり、いっぱしのジュエラー接客で説明いたしておりました。

「こちらはコンクパールと申しまして、カリブ海で生息致しましピンクガイという巻貝から、極めて稀に採れる天然真珠なのでございます。通常真珠は二枚貝から、しかも、人の手を借りて養殖によって生産されているのですが、このパールはまったくの人の手を介さない、正真正銘の天然自然が育んだ真珠なのでございます。さてこのコンクパールが採れますのはピンクガイという大きなほら貝の様な貝なのですが、現地ではもっぱら食用として水揚げされます。その採集された貝の中からわずか一万個に一粒見つかるか見つからないかというほどの、希少な真珠なのでございます」と立て板に水とばかりにまくし立てておりますと、そのご主人と思わしき男性が突然、

「その貝食べた事あるよね?」と奥さんらしい女性に話しかけたのです。

「あるある、たしかマイアミでだったっけ?」

「そうそう、バハマ料理だかの店で食べたよねー、結構美味かったよなー?」

「うん、美味しかった美味しかった!」

そこで突然尋ねられたのです。「召し上がった事あります?」

「い、いやー、残念ながらまだ食べた事はございませんねー」

「そうですか、取れる真珠のように希少じゃないから一度召し上がって下さいよ、なかなかの美味ですよ!」

「は、はい。機会がありましたら、ぜ、是非」

そこからはもう接客の勢いの鈍る事といったら。下手に知ったかぶりするのは良いけど、たまにはその架空の話を上回る経験者が一般顧客の中にもいらっしゃるという事を忘れてはいけませんね。

あれからもう20年以上経ちますが、今だコンクパールの母貝、ピンクガイを食す機会はおろかアメリカに行く機会にすら恵まれません、トホホホホ。

という事で今回はこちらのコンクパールのネックレスのご紹介。

さて、こちらの希少価値は先ほどご紹介の通りでございますが、その宝石としての魅力をお伝えしなければ片手落ち。

コンクパールの魅力はこの陶器のような滑らかなツヤと、一青窈が歌ったハナミズキの色をそのまま映したかのような、この何とも言えない薄紅色の可愛らしい風情。さらにはその薄紅色の上に火炎模様と呼ばれる「鬼滅の刃」の煉獄さんのマントのような模様がうっすら浮かぶ風情がまた何とも言えない風合いをこの宝石に与えております。

カリブの海が生んだ奇跡の真珠、是非この希少なお宝をあなた様のコレクションの一つにお加えくださいまし。

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ボディーピアスで全身をうめつくせ!

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モンド映画というジャンルが映画の世界にはございます。

これは、グァルティエロ・ヤコペッティというイタリアの映画監督の作品に代表されるような、世界各地で行われている残酷な奇習やグロテスクな風俗、夜の街で提供される猟奇的エロス、犯罪行為といった事柄を虚実ないまぜにして、ドッキュメンタリータッチで描いた、まさに悪趣味の極致、キワモノ、ゲテ物趣味が売り物の見世物映画でございます。

わたくしが敬愛して止まない文豪、筒井康隆先生の作品に「宇宙衛生博覧会」と題した短編集がございますが、この題名の元となった「衛生博覧会」。これは明治から昭和初期にかけまして、日本各地では開かれた、衛生思想の啓蒙という事を目的として行われた博覧会なのでございます。元々はしかるべき医療法人なり、それなりの保険関連機関が主体となって行われたらしいのですが、その実態は、人体解剖、疾病臓器、生殖器、胎児などの生々しい模型の展示、またそれぞれの解剖図、疾病部分亊等の微細な絵図。更には奇形胎児や動物の胎児のホルマリン漬け、人体に寄生する様々な寄生虫の標本などの展示と言った実に見るに忍びない、目をそむけたくなるようなグロテスクなものの標本が会場所狭しと陳列されていたそうでございます。しかし人々は怖いモノ見たさの誘惑にかられ、その会場はけっこうな盛況を呈していたそうでございます。

それと同様、そういった怖いもの、気持ち悪いもの見たさの心情をくすぐるのが、このモンド映画の狙い。私が中学や高校生時代などによく深夜のテレビで「世界残酷物語」や「残酷大陸」などのヤコペッティの一連の作品が密かに放送されていまして、親に隠れてよく観たものでございます。ヤコペッティの映画と言えばエロとグロ。ちょうど思春期の血気盛んなエロ小僧であった私の需要にも大きく貢献するものとワクワクしながら放送を心待ちにしておりました。しかし実際の映画は幼い私の淡い期待を裏切り、エロな部分よりも圧倒的にグロ、即ちグロテスクな場面の方が多かったのでございます。

どうグロかと申しますと、アフリカやアマゾンのジャングル奥地に暮らす原始的生活を営む人々の暮らしの中で、子供に施す割礼の儀式に始まって、皮膚を刃物等で傷つけ模様を肉体に彫り込んだり、また、下唇に皿をはめ込んで鳥類の嘴の如くに拡張させたり、鼻の障子を動物の骨などで貫通し、これがお洒落な装飾となったり、首の周りに輪っかを巻き、その数を年毎にどんどん増やしていって、首をろくろっ首よろしく長くしていく、などといった自らの肉体を傷つけ装飾するという、その地域独特の奇習をこれでもかと言うくらいに執拗にカメラがとらえ、どうです、なんと野蛮で残酷自虐、衛生意識のカケラも無い暮らしぶりをしているのでしょうか、この文明に取り残された未開の人たちは、という西欧文明優越意識からくる上から目線の秘境紹介を展開いたしておりました。

まあ、その頃はまだこちらも世間知らずの子供でございましたから、そんな映像を見せられるがまま、「わあー、きっしょい奴らやなー何しとんねん、痛っ、痛いなー、見てるだけで痛いやんけ。わーっ血ぃーや、血ぃー出とんがな、イタイイタイ、止めて、もーエエちゅう-ねん」と、もうエロスなどすっかり忘れ、怖気に身を震わせながらも、怖いもの見たさで最後まで鑑賞いたしたものです。

さて、それからしばらく時がたち、パンクロックなるジャンルのロッケンロールがミュージックシーンを席捲するや、このヤコペッティ先生が小ばかにしていた野蛮で醜悪な自虐自傷行為に類するファッション、いわゆるマルチプルピアッシングというものが、最先端のミュージックシーンの若いお兄ちゃんやお姉ちゃん達の間にあっという間に広がり、ミュージシャンというよりはもはや白人版残酷大陸のありさま。ヤコペッティの映画を観ても誰一人としてこれを真似て、耳や鼻の障子に異物を突き刺してみようというなどといった酔狂な真似に及ぶ者はなかったのに、この度は白人の先鋭的なロックの兄ちゃん姉ちゃんがやってるというだけで、悲しいかな欧米礼賛盲目追随付和雷同の悲しい日本人の性、この風習は我が国国内の一部の人たちの間に蔓延いたしたのでございます。

実際、それまでにも耳たぶに穴を穿ち、装飾品を飾るピアスイヤリングというものはございましたでしょうが、そんな可愛らしい単純なものじゃない。それまでのピアスは両耳で一対がせいぜい、しかも、両親から頂いた神聖な肉体を傷つけるという罪の意識に苛まれながらも、皆決死の覚悟で念仏を唱えながら開けた二穴であったものが、もう片耳で十穴くらいを異物で貫通させ、さらには耳だけにおさまらず身体全体いたるところ、なんと舌やさらにもっと敏感で痛そうな器官にまで穴を穿ち、様々な装飾品で飾るという風習が一部のマニアの間に広まったのでございます。

ただ、その当時はこの様な特殊な装飾は一部のモヒカン、タトゥー、革ジャンとのコーデのワンセットとしてのパンクな風俗。良識ある大人の認識とすれば、荒んだフーテン、ヒッピー、社会のドロップアウト、アプレゲールの落ちこぼれどものイカレた佇まい。昔風に言えば歌舞伎者の独りよがり、世間とは無縁の隔絶、孤立した風体風俗と見なされていたわけであります。

しかし昨今、この歌舞伎者の壁がどうも瓦解致したかの様で、普通のOL、サラリーマン、学生といった一般大衆の間でもピアスを普通に身体の各部署に貫通させこれを楽しむという事が広く行われている事が判明致したのでございます。試しに通勤電車などでよく周りを観察いたしますと、全く普通の女子事務員風や女学生が耳にいくつものピアスを挿したり、学校の用務員風初老男性が片眉上下をバーベル状金属棒で貫通させていたり、普通の魚屋のおばちゃんが鼻にピアスを貫通させ、鼻孔から鎖を垂らしてみたり。見える部分ですらこのありさまですから、洋服の下がどんな風になっている事やら想像するだに恐ろしい事でございます。

さて、実際そういった一般女性の代表とも言える、見た目至極普通な当社女性スタッフの声を反映致しまして製作致しましたのが、こちらの当社オリジナルボディーピアスなのでございます。

一般的に出回っているボディピアスというものはステンレスなどで作られたアクセサリー感覚のものがほとんどだけど、大人の女性を満足させる本格的な貴金属、天然宝石を使ったモノを作ってはどうだろうか。実際自分もそのようなものがあれば是非ともひとつ我が身にねじ込んでみたいのだけど。おっちゃんちょっと作ってや。そのような身近な生の消費者の声を反映させて出来上がりましたのがこちら。

こちらは、当社が師匠とも名人とも崇める大阪は生野在住の一流飾り職人の先生に、量産も利くようにと原型から拵えて頂き、ロストワックス鋳造法によって製作いたしました、紛う事ない全くの新品オリジナル商品のボディーピアスなのでございます。もちろん質屋でございますれば留めてある中石は買い取ったり、流れたりした品物から外した天然石を使用しておりますが、宝石は枠から外せば新品中古の区別無く、ひとつの宝石材に戻るという事はご承知の通り。えっ、知らん?まあそういう事なんです実は。

という事で、こだわり質屋が作った、本物が判る大人の女性の為の本格ジュエリー、18金製枠ダイアモンドボディーピアス。新品だけど中古価格並みのお値打ち価格で絶賛販売中。実際コンスタントに売れてるから、作っておきながら驚いてますんやけどね、おっちゃんは。分別ある大人の女性が蛮族のごとく、その父母から賜った尊い身体髪膚にボディーピアスをねじ込むなんて・・・・

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初春を寿ぐ大玉真珠

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どーも、明けましておめでとうございます!

なーんちゃってますけど、そもそもなんで年が明けるとおめでたいのか良くわかりませんですな。

「門松や 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」と言ったのは頓智小坊主の一休さん。一つ歳をとったらそれだけ冥途、つまり死に近づくのに何がめでたいんだ、て事を言いたいわけですな。

まあ、いつもながら大人をコケにした、こまっしゃくれた、ひねくれ小坊主の言いそうなこってすな。いいじゃーないか、みんな酒食らって凧あげて独楽を回して羽子板ついて楽しく浮かれ騒いでるのに、そんな陽気なパーリー気分に水差す様な事を言わなくっても。どうも無粋でいけませんな坊主と言う者は。つか、中途半端に知恵だけ付けて、悟りに至らぬなまくら坊主に限って、こんな憎まれ口をたたいて利口ぶるんございますよ。

おっと、新年早々ボヤいちゃいけませんね、とんだ失礼、平にご容赦、乞勘弁のほどを。

さて、それでは、お正月という事で、お目出たいところをひとつ。

新春第一弾の商品ご紹介は、この如何にも縁起の良さそうな、真ん丸大きな真珠の指輪とまいりましょう。

どうです、いかにも初日の出、ご来光を拝むような有難い風情のこの真珠!あたかも天照大御神のご神体かと見紛うばかりの白い珠は、相撲の白星にも通じるというくらい吉兆の印。

こちらは南洋真珠と申しまして、文字通り日本を遥か遠く離れた南洋の海で白蝶貝という貝の中で育まれる大玉の真珠でございます。

日本で養殖されるアコヤ貝から採れる珠は、せいぜい大きくて10ミリ止まりなんですが、こちらは何と最小が10ミリと申しますから、そのサイズの差は大人と子供ほど開きがございます。これは真珠を育む母貝の大きさの違いからくる差異なのでございますね。

こちらご覧いただいております商品の真珠のサイズはと申しますと、なんと15ミリ以上。南洋真珠にしても結構大ぶりな珠でございますよ。

こちらの南洋真珠、アコヤ真珠に比べて色が、何と言うか淡泊なのですが、それはアコヤ真珠の多くが、調色と言って若干の染色(多くの場合ピンクの色を挿すのですが)を施しているものが多いのに対し、こちらの南洋真珠はほとんどそういった処理をしていないせい。つまりよりナチュラルカラーな訳なのでございます。さらにこの南洋真珠はアコヤ真珠に比べ真珠層が厚い。つまり人間で言うところの面の皮が厚く出来ておりますので、変色や退色がしにくく、真珠層が割れたり剥離したりもしにくくなっております。

手前どもの質店の方にもよく昔買った、あるいはお母さまに頂いた古いパールの指輪をお持ち頂き、査定のご依頼を承ることがございますが、アコヤ真珠の場合はそのほとんどが劣化が著しく、黄色くツヤの消えた状態。そうなるともうパール自体の評価はゼロ。

これはやはりアコヤ真珠の真珠層の薄さが原因。対するこちらの南洋真珠は、この真珠層が先ほど申したとおり分厚く出来ておりますので、劣化のスピードも大幅ダウン。もちろん生き物から採れる有機質の宝石ですから老化すなわち、劣化は避けられませんが、その寿命が大幅に長いわけ、つまり持ちが良いってこと。親子二代や三代くらいのご使用には充分耐えられる丈夫さ。この寿命の長いという点も新春の門出にあたって縁起の良いところではないでしょうか。

さて、わたくしが昔香港に居てましたおり、現地の人がこの南洋真珠の事を「サウシーポー」という風に呼んでおりました。わたくしはこれはてっきり現地で話されている広東語だとばかり思いこんでおりましたところ、後で聞くとこれは英語 South sea pearl の広東語風ナマリ。Rolexの労力士みたいなもの。昭和風に言うと、づっこけちゃいましたよ。

さあ、お正月はもう終わりですが、実はこれからが真珠の出番。

入学、卒業の晴れがましいお式。さらにはジューンブライドのお目出たの季節が次々に控えております。そういったフォーマルな場所に欠かせないのがこの真珠。パールをお着けあそばしたご婦人の多く集う場所柄、どうせなら人より大きい珠で差をつけて、優越感に浸ってフォーマルを寿ぎませう。

さて、最後に先に挙げました頓智小僧一休の憎まれ口を封じる、真の覚者の言葉を引用させて頂き、新春第一弾ブログの締めとさせていただきます。

Die before you die and find that there is no death” – Eckhart Tolle

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爆裂ウルトラリング

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皆様はミドリのおじさんをご存知だろうか?

ミドリのおばさんなら、学童の交通事故を防ぐため、小学校の登校・下校時に通学路でで小旗を持って学童の交通整理をする女性交通指導員の通称。学童擁護員。昭和三四年(1959)に始まる。緑色の制服を着ているところからそのように呼ばれる。とインターネット辞書のweblioに出てますが、それの男性版かと言うとさに非ず。またクルマの駐禁を取り締まるおじさんたちの事でもありません。

わたくしが宝石店に就職して間もない時期と申しますから、1980年から1990年頃にかけての事でございましょうか、大阪の繁華街にあるショッピングモールや百貨店などを股にかけてけっこうな広範囲にわたって出没した男性の事を、誰呼ぶともなくこのように呼んでいたのでございます。なぜなれば、その人物は全身、頭の先からつま先までをグリーン一色で統一した風体をしていたからなのです。

グリーンの帽子にグリーンのスーツ、グリーンのシャツ、ネクタイ、靴は何とエナメルのグリーン。もちろん靴下もグリーンでひょっとすると下着も?うる憶えですが多分眼鏡もグリーンのサングラスをかけてたのじゃなかったでしょうか。もうホント全身がグリーン、まるで青虫。

この人物の視覚的インパクトたるや、そりゃもう半端ない。わたくしが最初に目撃いたしましたのは多分ホワイティ―梅田と呼ばれる、大阪はキタの地下ショッピングアーケードにありました支店に勤務していた時。その日もいつものように宝石陳列用ケースの後ろに控え、客待ち態勢で通路を眺めるともなしに眺めておりますと、遥か彼方より何やら異形のモノがこちらに向かって近づいて来るではないですか。最初はたぶん機械設備の作業員か、地下街の何かのイベントに動員された着ぐるみのエキストラだろうと、さして気にも留めてなかったのですが、近づくほどにその全容が明らかとなり、その時初めて「なんじゃ、こりゃー!?」とかなりの衝撃を受けたのでございます。

ジム・キャリー主演で「マスク」というコメディ映画が以前にございました。その主人公はグリーンのマスクを着けると超人的な力を発揮するという設定だったのですが、まさにそのグリーンのマスクを着けた主人公そのままのインパクト。ただし映画の方は顔だけがグリーンなのに対し、こちらは顔以外が全部グリーン。面積が広い分その迫力も倍増!

そのわたくしが勤務する店がありました立地は、ちょうど近くに梅田花月という吉本興業の劇場がございまた関係上、時々吉本の芸人さんなんかも見かけたりしましたので、最初はそのあまりの奇態なサマに、きっと吉本の芸人さんだろう思ったのです。しかしよくよく観察してもまったく見たことも無ければ、芸人らしい愛想の欠片も見せず、中空一点を睨んでぐんぐんと歩を進めている様は、なにやらただならぬ異様な気配。

ふと気が付くと、向かいの洋装店のお姉さんも呆然とその人が通り過ぎるのを眺めております。傍らに目をやると先輩女子社員が意味深にニヤニヤ笑っているではないですか。

「あれ何ですの?」思わず尋ねますと、先輩面白そうに

「見たん初めてか?」

「ええ、あんなけったいな人見たのはじめてですわ」

「あれはな、ミドリのおじさんや」

「ミドリのおじさん?見たまんまですやん。何者なんですか?何してる人ですの?なんで全身ミドリなんですか?」

矢継ぎ早に質問を浴びせかけるも

「知らん。何にもわかれへん。ただ時々あの格好で現れるねん」

「時々あの格好って、毎回同じ格好してますの?」

「そーや、寸分たがわず同じ格好。そやからここらじゃちょっとした有名人やで。覚えときや」

「はー、で名前は?」

「そやから、ミドリのおじさんや、そない言うたら皆知ってるわ」

実際、後で判ったのですが、このミドリのおじさんは他所の支店でも有名で、その後わたくしが異動で別の店に移った際も、その場所で再度ミドリのおじさんに遭遇したのでございます。

さて、結局このおじさんの正体は判らずじまいだったのですが、昔はこのおじさんのように個性的な風体をしている方がけっこう多かったように思います。例えば当時タレントとしテレビにも多く出演されていた大屋政子さんというご婦人がおられましたが、この方実はなんとあの大企業、帝人の社長夫人にして大阪を代表する資産家。しかるにそのいでたちたるや、結構なご高齢にもかかわらず、黒髪をオールバックに固めて刈り上げといったオッチャン風のヘアスタイルながらも、その服装はピンクを基調とした花柄ムームー風の超ミニスカートと実に突飛。もしファッションスタイルにもそういうジャンルがあるとするなら、シュールの一言が最適かというくらいの佇まい。

なにかと人の一挙手一投足に細かく批判が集まる昨今のネット社会。その弊害の一つにこういった個性豊、自分勝手な装いが出来にくくなっているという事が挙げられるのではないでしょうか。ついつい人の目が気になる。炎上が怖い。ネット上で晒されるのではないかしらん。そういう不安が手枷足枷となり、本来あるべきあなたの自由気ままな装いを束縛するのです。

もちろんファッションスタイルは昔に比べ随分多様化してはいるものの、それはそれぞれの理想形がゴールとして用意されており、それに沿うようトータルの装いをコーディネートしていくといったお仕着せの多様性であります。

しかし本来お洒落というものは、一つの自己表現の手段。人に褒めてもらおう、あるいはモテたい、異性の気を引きたいなんて言った下卑た心根で行うものではございません。

かの偉大な芸術家、岡本太郎画伯もおっしゃっています。「人におもねるような、人に気に入ってもらおうなんて心根はダメだ。人に挑み圧倒するような、気圧するような、なんだこれはと人をして驚愕せしめ、嫌悪の情さえ惹起せしめ、反発されるようなものを表現しない事にはそれは芸術とは呼べない。芸術は爆発だーっ!!」

さて、あなた様も今一度自らを振り返り、その人目を意識した、世間体を慮った、あるいは異性に媚びへつらうような、お仕着せのトレンドを追い求めるお洒落は打ち捨てて、真の自分と言う者の個性を世に問うような装いの爆発を表現されてみてはいかがでございましょう。その第一歩を踏み出すのにうってつけなのが、これからご紹介いたしますこちら指輪でございます。

さてこちら、指輪とご紹介せぬ限りは誰もその正体を見破る者とて無いような外観。

かつて、日本の特撮技術の雄、円谷プロダクションがその特撮技術の粋を結集して製作にあたった人気テレビドラマ、ウルトラQに始まりウルトラマン、ウルトラセブンへとつながるウルトラシリーズという人気の連続テレビ番組がございました。こちらの指輪ときたら、まるでそのウルトラシリーズに登場する怪獣、珍獣を連想するような、はたまた南米あたりのジャングルにでも生息するような禍々しく極彩色に彩られたな食虫植物かと見紛うような様子。

上下に四枚の花びらのペア、左右に三枚の花びらがこれも対となって配置され。それぞれ全ての花びらがオレンジとイエローのサファイアによって、泥絵の具で描かれた見世物小屋の看板の如くに毒々しく色づいております。さらにそれぞれの花びらの淵部分にはブラックダイアのメレがこれを隈取するが如くセットされて、さらにそのアクの強さクセの強さを一層誇張しております。しかも驚くべきことにこの花びらは一枚一枚が独立して形成されており、それぞれの付け根部分は全てがある程度可動するように取り付けられている為、着けている人の動きに合わせて全体がワサワサと揺れ動くのでございます。まさに円谷プロダクションの特殊細工に迫る創意工夫ではございませんか。

さてこの指輪、重量がなんと36グラムもあるという超弩級の超大作。この重量を支えるためにそのリングのウデも半端ない太さ。

ご存命なれば、岡本画伯も絶賛するであろうこと間違いない、並みいる凡庸なジュエリーを蹴散らし圧倒するこの超弩級のド迫力。

このモンスター的指輪を威風堂々と着けこなせる第二の大屋政子女史たるべき女傑よ、いざ出でよ!

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ブルーノートに乗じ美女口説く飛道具

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昔、大阪のミナミにバンビという小粋なジャズ喫茶がございました。ジャズなんて皆目わからぬ学生時分から、そのお店の雰囲気が好きでよく訪れたものでございます。

宝石屋に就職してからも、ちょうどミナミにあった虹の街、今はなんばウォークと名前も改まっていますが、地下鉄の湊町から日本橋の駅に続くショッピングモールにあった支店に配属された時なども、よく休憩時間や、待ち合わせの場所として訪れたものでございます。

ちょうど近所には、知る人ぞ知る大阪名物インディアンカレーの法善寺横丁のお店があり、ここであの、甘くて辛くて美味しいカレーを食べて後、こちらの香り高く苦いコーヒーを頂くのが当時の何よりのささやかな愉しみでございました。

そのジャズ喫茶バンビのウリは、何と言ってもJBLのパラゴンという日本には数えるほどしかないという、とんでもないスピーカー。普通の縦型長方形、箱型のスピーカーとは似ても似つかぬ、横に長い、全長で言えば2メートルくらいはあったのでしょうか、それ自体が何やら芸術的オブジェのような、高級家具の様な見るからに荘厳な佇まい。そこから流れる出る曲はもちろんクールなモダンジャズ。当然音源は昔の黒いビニール製のレコード盤にレコード針を落として聞くアナログ方式。まあその音の良い事と言ったら、と言えたらかっこいいのですが、生憎オーディオなんぞにまったく疎い鼻たれ小僧が判ったような顔をして、聴き惚れているふりをしていただけなのでございます。

店のウリは何も音楽やオーディオだけにはとどまりません。先程も申しましたように、ここのコーヒーがまたよろしい。今のコーヒーと違ってやたら濃くて苦い。18世紀のフランスの政治家、タレーランが語ったコーヒーの味の定義、「よいコーヒーとは、悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、愛のように甘い」。まさにこの定義にぴったりの風味とアロマであるよなー、と一口すすっては妙に納得してた鼻たれ小僧の僕。

またそのコーヒーは見るからに高そうなコーヒーカップとソーサーによって供され、そのソーサーの上には小さい金属製の銀色のピッチャーに入ったクリームと、スプーンに乗せられた角砂糖が二つ行儀よく乗っている。どうですイキでござんしょ?

さらに店の床は本物の木材を使ったの寄木張り。油を欠かさず塗っているせいかその香りが店内に仄かに漂い、壁や棚には絵画や陶器などが嫌味なく飾られ、店奥の壁には店名バンビの語源なのか、角の立派な牡鹿の頭部のはく製がうやうやしく掲げられ、店内を睨んでおりました。

このお店を一口で申しますと、洗練された大人のお洒落な雰囲気とでも言いましょうか、ハイカラでモダーンなお店とでも言いましょうか。しかし残念ながら時代の趨勢に押されて、もう20年以上前に廃業なさったのが本当に悔やまれます。

さて、ジャズという音楽にまつわるものは、このお店に象徴されるように実に洗練されたお洒落、粋な物事が多ございます。これはその演奏するミュージシャンにも当てはまるようで、フォークミュージックやロックを演る野郎どもが破れたジーンズやちびた下駄、工事現場の安全靴なんぞを履き、むさくるしい長髪をラーメンの汁とともに啜っているありさまとは裏腹に、ハリスツイードのジャケットにフランネルなんぞのパンツを小粋に合わせ、アスコットタイなんぞで優雅にキメてまことにダンディ。50年代から60年代の海外のジャズミュージシャン、例えばマイルス・デイヴィスに代表されるクールでイカシタなジャズミュージシャンは言うに及ばず、日本のオールドジャズプレイヤーもカッコイイおじさん揃い。わたくしの若い頃にもピアニストの世良譲さん、クラリネットの北村英治さん、サックスの松本英彦さん、同じくサックスのナベサダこと渡辺貞夫さん、ドラムスのジョージ川口さんなど、みんなもうダンディとはこういうものかと感心する、男性のお洒落のお手本のような方たちばかりでした。

さて、喫茶バンビの顧客層にもやはりそういったシャレオツおやじに感化されたような、うーん渋い!と唸るような、大阪ミナミでは滅多お目にかかれないような素敵なおじさま方が数多く見受けられました。

さてそういったジャズ界のプレーヤー、オーディエンスひっくるめてのお洒落の達人のおじさん達に共通するお洒落の必殺技、マストアイテムと言って良いのが、私の睨んだところ指輪なのでないかと思うのでございます。この小道具を上手く着こなすことができたなら、もうあなたはお洒落の達人。ダンディ坂野。女性にモテる事必定。

正面の壁面いっぱいにありとあらゆる洋酒のボトルが並び、ジャズが静かに流れるバーカウンターで美女と隣り合わせ。その流れる曲の蘊蓄をさりげなく語る。「この曲は多分ニューヨークのヴィレッジヴァンガードのライブでバックにチャーリーミンガスがサポートで入っているはずなんだよ」などと口から出まかせ。オリーブ漂うドライマティーニのカクテルグラス掲げるその手にさりげなく蠱惑的な宝石輝かせれば、たちまち美女はあなたの虜、知らんけど。

まあ、実際当時のミナミの盛り場などでは数多く、大仏の如きパンチパーマのヘアスタイルに極太キヘイネックレスを首からぶら下げ、クロコダイル革の靴を履いたいで立ちのオジサンもよく指輪をひけらかしながら歩いていたものですが、そういった流派とはまた別の流れ。あちらの流派の指輪は喧嘩の際の武器、凶器兼用の用途でございますが、私がここで声を大にして主張致したいのは、あくまでこちらはナンパ用、対美女の武器としてでございますれば、くれぐれも誤解無き様お願いいたしたい。

さて、ご覧いただいておりますこちらのメンズリング。是非ともそういった軟派流抜刀術師範クラスの使い手にご愛用頂きたい最高のサファイアメンズリングでございます。

こちらリングの内側の刻印を見ますとブランドかメーカーのホールマークらしき印と18金の金性を示す750の数字が打刻されております。ただしサファイアと脇石のダイアモンドの石目を表すキャラットの刻印がございません。これは750の刻印からも推測される海外製品の特長。したがいましてはっきりした石の重さは申し上げられませんが、中石は大きさから推測するに2キャラット前後はあろうかと言う立派なもの。内包物もサファイアにしてはかなり少なく、綺麗に澄んだ、ムラの無いサファイア独特の群青色を呈しております。そしてこの中石を取り囲みますメレダイアモンドも直径が約2.1ミリが17個、およそトータルで0.5キャラットぐらいの石目はあるかなというところ。このメレダイアもかなりの高品質。海外一流ジュエリーブランドが使用する品質のものに全くひけをとりません。このメレダイアの品質一つ取って見ても、この品物の素性の確かさの裏付けとなるのでございます。

パンチパーマ系顧客層に向けて作られる事の多かった国産メンズリングは、いかんせんイカツイ、はったりの利く見た目重視ながら、品質がイマイチというものが中古品として流通するものの中でもかなりの割合を占めるはず。また、そのオーナーの荒んだ暮らしぶりを反映してか、傷みの多いものがほとんど。しかるにこちらは海外製造の高品質素材。しかもメンズリングに多い痛みがほとんど見受けられません。

そういった意味でも、まさにメンズリングの掘り出し品。こんなのは滅多出るもんじゃあない!日本で一番指輪が似合う男、伝説のファッションデザイナー、菊池武夫先生にも堂々とお勧めできる当店自慢の紳士用指輪でございます。

タケ先生買ってちょんまげ!

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ありのままの魅力 変色非加熱サファイア

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「好きな言葉はLet it beでしょうか」と語ったのは今をときめく、かの時の人ですが、これは元々ビートルズのポール・マッカートニーが作った名曲のタイトル。日本語にすれば、ありのままに、あるいは、なすがままという事らしいのです。よく似た歌のタイトルにディズニーの大ヒットアニメの主題歌「Let it go」というのもありましたけど、こちらの日本語の歌詞も「ありのままに」と歌われております。

さて、このLet it be あるいは Let it go という言葉、実は東洋のスピリチュアルな教えに深く根差した、有難い教えの言葉なのでございます。

実際、ポールマッカートニーはビートルズのメンバーの一人で印度オタクとしても有名なジョージ・ハリソンの影響によってインドの聖者、マハリシ・ヨーギーという人の下で瞑想とともに、ヒンドゥー教に根差した彼の教えも授かったという事。きっとこの let it be という言葉や歌詞の意味もそういった教えの影響があるのかも分かりません。

さて、仏教においても様々な偉いお坊さんが、このあるがままという事の大切さを説いておられます。

タイの伝説の高僧アチャン・チャーという人はその多くの著書の中で、「手放して生きる」という事を力説されておられますが、この仏教でいうところの手放し、いわゆる放下という教え、つまるところLet it be 、ありのままにという事につながるのでございます。

 

その歌声がなんとも魅力的だったカレン・カーペンターが亡くなってもう結構な年月がたちますが、今でも根強いファンにその人気が支えられているアメリカの兄妹ヴォーカルグループ、カーペンターズ。そのヒット曲の一つに「雨の日と月曜日は」という名曲がございます。その歌詞の節々に「雨の日と月曜日はいつも気が滅入ってしまう」というフレーズが出てまいります。

さて、では何故雨の日と月曜は気が滅入るのでしょうか?以下にその理由を述べよ、という設問が出たと致しましょう。

<濡れると鬱陶しいから><洗濯物が乾かないから><働きたくないから><職場にウザイ奴がいるから>。そのほか沢山の理由が挙げられることでしょう。この沢山な理由は「雨の日と月曜日」にオマケの様に付随して、どなた様のもとにも、もれなく一緒に訪れるのかというと、そうではありませんね。「雨の日と月曜日」という言葉から思い浮かぶあなたの思考ですね。雨の日も月曜日もただそれが事象として現れ、それをあなたの様々なバイアスよってゆがめられた思考によって、いろんなネガティブな理由を創造し、憂鬱な事だなーと結論付けているわけであります。これが世間でよく言われるところのマイナス思考のパターンです。

ならばこれを逆手にとって、プラス思考で前向きな楽しい人生を送りましょうという事を人生の指南書、自己啓発書みたいな本にはよく書かれてあります。例えば恵みの雨が大地を潤し、命を育んでくれてるのだわ、ありがとうの感謝の気持ちがあなたの憂鬱な気分を吹き飛ばしてくれます。とか、こうして五体満足健康で働ける喜びをかみしめ、神仏に感謝の祈りを捧げつつ、今日一日を実りある日とするんだ、など。

しかし、思考というものはそんなに単純なものではございません。いくらプラス方向に思考を向けようとしても、思考というものはそう簡単に主の言う事は聞いてはくれません。聞いてくれないどころか、ほとんどの人間は自分の思考のシモベとなり、日々徒に喜怒哀楽の感情のいちいちに動転し、右往左往して生きている有様なのでございます。

それだけではございません、なにかの拍子で思考が肥大化し、暴走するととんでもない事件を巻き起こしたりもいたします。

例えば最近ですと、映画「ジョーカー」を観て主役の悪のヒーロー、ジョーカーに憧れ、電車内で人を殺そうとした人間がおりました。これなぞまさに思考の暴走、制御不能の狂気の仕業ではございませんか?

イギリスが生んだ天才劇作家ウィリアム・シェークスピアはこの様な言葉を残しております。「物事に良いも悪いもない。思考がそれを決める」

また、現代の最高のスピリチュアルティーチャーと呼ばれるエックハルト・トール氏はこの様に言っています。「思考を本物の自分であると思ってはならない」

さて、手放す生き方とはこの、マイナスであろうとプラスであろうと、思考そのものを手放す、ありのままの事象をありのままに受け止め、それに自分勝手な解釈やストーリー、その多くはネガティブなものですが、を付け加えない。つまり、これこそが Let it beの意味するところなのでございます。

実際この境地に至れば、人は真の平安、自由が得られるとされ、この境地こそが即ちエンライトメント、覚醒、悟りの境地。ブッダが説いた空なる場所なのでございます。

身の回りにいかなることが起きようとも、また自らの死が目前に迫ろうとも心が文字通り動じないようになる訳でございます。この境地を目指し、多くの修行僧や、様々な宗教の弟子たちは座禅や瞑想に励み、心の制御を手に入れようとしているわけなのでございますが、この道を極める事は決して安易な道ではございません。一生を空しく修行に費やし、老いさらばえ悲嘆に暮れて死にゆく者がほとんど。

ただ驚くべきは、この「好きな言葉はLet it be でしょうか」とのたまわった青年。彼はまだ三十才の若さにして、この好きな言葉の指し示す境地に既に達しているのではないかと思わざるを得ないのです。なにせあれだけマスコミやらSNS上での激しいバッシングを受け、もはや日本国中を敵に回したような状況。常人ならば精神を病むか、下手すりゃ、いっそ姫と二人で命を断って、あの世で見事添い遂げましょうぞ、とでもなるところ。それが彼はまるで馬耳東風、蛙の面に小便。一切ひるむ事も、キレル事も、落ち込む事も無く淡々として、しかも易々とその目的を達してしまったではございませんか!とても常人の成せる業ではございません。いや素晴らしい!きっと悟りに至った聖者、覚者にちがいありますまい。

浮世の垢にまみれる弁護士になるなんて止めて、いっそグルか教祖にでもなられたらいかがでしょうか?弁護士よりも多くの悩める人々を救えることができるはずですぞ、きっと!

という事で本日は、ありのままのサファイアのご紹介!

さてご覧いただいでおります、このすみれ色鮮やかなる宝石は、なんとサファイアなのでございます。それもなんと、カラーチェンジ、ノンヒート即ち、変色性のある非加熱サファイアなのでございます。

カラーチェンジと言いますと真っ先に思い浮かぶのはアレキサンドライト。しかしサファイアの中にも負けちゃいられないてんで、光源の色の変化で変色するものがございます。こちらのサファイア、太陽光の下でご覧いただきますと青みがかった紫、すなわちヴァイオレット、ご覧いただいているような綺麗な菫色を呈し、白熱光の下でご覧いただきますとなんと赤身のかかった紫、すなわちパープルに変化するのでございます。紫色の範囲のなかでの両極への色変わり。何ともノーブルな感じで、粋じゃございませんか。しかも内包物もサファイアにしては珍しいほどに少なく、その石の内部の様子は、昼間の雲一つない素晴らしい快晴を予感させるような、明方の菫色の空のように澄み渡っております。しかもカットも色石にありがちなアシンメトリーのアンバランスな粗い仕事ではなく、きちんと上下左右の対称性を保った綺麗な拵え。そして何と言っても、この綺麗な発色が、人の力を借りた加熱処理によってもたらされたものでないという点に値打ちがあるのでございます。

サファイアやルビーといったコランダム系の宝石は、一般に加熱処理され色の発色を促したり、改善するのが一般的で、今では宝石業界の常識として知らぬ人は居ないくらい。ただし、たまにはもちろん採掘されたままの状態、ありのままで美しいものがございます。それがこちらの石、非加熱サファイアなのでございます。

たまに、まったく宝石として魅力の無い石を非加熱と言うだけで法外な値段で売っているのを見かけたりしますが、それはインチキ。あくまで人と一緒で整形されていない生まれたままの美女と言うのがお値打ちなのでございます。こんなのは今の芸能界でも滅多にお目にかかれません、知らんけど。

さあ、そんな何の手も加えられてない、ありのままの美女が、生野の名工の手によって手造りされた豪華ラージメレダイア取り巻きのリング枠に収まって、燦然と神々しく輝くこの指輪。さて、この無添加無着色、菫色の絶世の美女を射止める果報者はどなたかな?

 

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椿三十郎見参!

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黒澤明と言えば日本が世界に誇る映画監督。

映画「羅生門」で1951年のヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、続けてさらに第24回アカデミー賞で外国語映画賞を受賞したのをきっかけに、彼が紡ぎ出す名画、名作はその後も海外の名だたる映画賞を次々と受賞。晩年にはアメリカの映画芸術科学アカデミーからその長年の映画界に対する功績を称えられてアカデミー名誉賞が、そして没後は日本国政府から国民栄誉賞まで送られているのでございます。

ハリウッドの名監督スティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラ、マーティン・スコセッシ、スタンリー・キューブリックなどなど数々の巨匠から映画の師として尊敬されており、世界の映画界に与えた影響は計り知れません。

さて、この世界の黒沢監督作品でわたくしの一番好きな作品が「用心棒」と「椿三十郎」。これは続編二部作で、主人公の三船敏郎演じるやたら腕の立つ素浪人が、悪い奴をバッタバッタと切り捨てる痛快娯楽時代劇。

ドストエフスキーや芥川龍之介などの文学作品を原作にすることの多い、少しめんどくさい傾向の黒沢作品にあって、この二部作は例外的に娯楽に徹した映画と言ってもよいかと思います。

また、この映画の主人公もそれぞれの作品で、その名乗る姓こそ違いますが三十郎という名の浪人を演じた三船敏郎のカッコよさといったら、もう典型的な映画のヒーローそのもの。実際この後の時代劇に登場する腕の立つ浪人の原型がこの三船演じる三十郎であり、なおかつそのかっこよさを超えるキャラクターは皆無。このスーパー浪人侍の原型は映画、テレビの時代劇の枠を超え、後の劇画の世界にも影響を与えたのでございます。

テレビや映画にもなった伝説の劇画「子連れ狼」などでお馴染みの小島剛夕先生は、その「子連れ狼」の主人公、拝一刀の作画のイメージを三船敏郎の浪人姿をモデルにしたというほど。また、この小島先生の師匠である白土三平先生もその作画の上で、刀によって人間が惨殺されるシーンで、血しぶきの飛び散る描写など、まさにこの両シリーズ、特に「椿三十郎」のラストシーンに大きく影響を受けていると見られます、

さて、この二つの剣豪浪人モノのなかの一つ「椿三十郎」。そのなかで印象深いのが、この浪人の名前にもなっている椿の花。

物語の舞台となるのが通称、椿屋敷と呼ばれる椿の花が美しく咲き乱れるお屋敷。この椿の花が後々物語の展開にも重要な役割を担っていく訳でもあります。

わたくし、この映画を思い浮かべる時、まず鮮明な印象として脳裏に浮かぶのが劇中に出てくる真っ赤な椿の花。しかし実はこの映画、初期黒沢作品共通のモノクロ撮影。つまり白黒の映像な訳で、赤い椿の花の印象が残る訳はないのでございます。

実際撮影秘話として、黒沢監督は椿の花のシーンだけパートカラー、つまり部分的にカラー映像にしようかと企んだらしいのですが、技術的に不可能。そこで、撮影スタッフは赤い椿を黒い色に塗り、モノクロで見た場合の深紅のイメージを創作したという事。こういうのをきっと匠の技と言うのでございましょう。黒を赤に見せるなんて。

 

さて、こちらにご覧いただいておりますのも、椿の花のようなイメージのブローチ。大変大判の商品で縦横およそ6センチ四方で目方もずっしりと46グラム。実に立派なサイズのブローチの使われているルビーが20キャラット、葉っぱの部分に使われているグリーンのガーネットですら4キャラットを超えるボリュウムの超大作。ブローチとは云えど下手に薄い生地のブラウスなんかに着けるとブローチの重さで服がずり落ちてしまうからご用心。

さてこちらお品、ご覧いただく画面からもその迫力が伝わってくるかと存じますが、これはなにも、製品の大きさと、豪華に散りばめられた宝石だけのお陰だけではございません。

実は黒澤組撮影スタッフの工夫と同様の細かい工夫がこの製品の細部には施されているのでございます。それは何かと申しますと・・・・

ダイアモンドを除く石留部分の小さな18金ホワイトゴールドの爪部分は全てブラックメッキが施されております。この石留の爪全体を黒くすることによりまして、この花の赤と葉の緑がよりはっきり鮮やか、いきいきして見えるようになっているのでございます。ただ驚くべき事に、このブラックメッキは、石留の後のサシメッキという手法で施されている点なのでございます。つまり、先ずブローチの土台となる地金部分全体に一括でロジュームでホワイトゴールドメッキを施した後、この細かいルビーとグリーンガーネットを一個ずつブローチ枠に石留していきます。そして全ての石留が終了した後、このそれぞれの石を留めている爪一本づつに黒の部分メッキをメッキペンという道具でもって施していくのでございます。この細かいルビーとガーネットの総数がおよそ500個前後はございますので、爪の数はそれを遥かに上回る数。想像するだけで気の遠くなる、細かく根気のいる作業。したがいまして、この石留とサシメッキの工賃だけでも相当な金額が想像できるというもの。

こちら、一見アクセサリーかとも見紛う大判のブローチ、実はスゴ技撮影技師の職人技が凝縮された黒澤映画作品のように、目の肥えた人にはおのずとわかるジュエリーの逸品なのでございます。

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見くびってはいけない一流ブランドの底力

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わたくしが以前ご厄介になっておりました宝石屋は宝飾品だけではなく、日銭稼ぎの為にハンドバッグや財布といった皮革製品も取扱っておりまして、営業の新入社員は大抵ハンドバッグ部門からスタートするといった慣わしでございました。これはひょっとすると手癖の悪い奴をふるいにかける為の方便だったのか、あるいは売り子の向き不向きを見定めるための方策だったのか、今となってははっきりわかりませんが、私は売り子向きではないという烙印が押されたのか結構バッグ部門にも長く滞在いたしておりました。

今ではブランドのバッグというものは、そのブランドの直営店で買うという事が当たり前のようになっておりますが、わたくしがまだフレッシュピチピチ純情可憐な新入社員だった40年も前の昔は、ブランドといっても、代理店が入って間接的に販売するか、あるいはライセンス契約といって、日本の鞄メーカーがそのブランドとのライセンス契約を締結し、その条件の下で製造販売するという事が一般的でございました。

わたくしの勤務してましたお店もサンローランとかバーバリーなどといったブランドバッグを扱っておりましたが、これらは全て国内製造のライセンス商品。たまにバリーとかボッテガヴェネタなどの海外で生産されたバッグが入荷したりしてましたが、これらは三崎商事などの輸入商社が間に入って仕入れたもの。そういやその頃その三崎商事から仕入れていたゲラルディーニのパラシュート素材のバッグが飛ぶように売れましたねー。今でも有るんでしょうかねこのブランド?

さて、宝石のメーカー、問屋が多く集まるのは、ご存知東京は御徒町。全国の小売店や問屋さんはみんなこぞってこちらに仕入れに訪れるわけですが、バッグの場合は同じ東京でも浅草橋や蔵前と相場は決まっている。

同じメーカー、問屋でも宝石とハンドバッグですと会社の雰囲気もガラっと違ってまして、宝石なんてものはやはりその商品の性格上、そういった会社の社員もツンとオツのすまして、みんなジュエラーでございてな顔してる。そこいくとバッグの方はなんつったって、下町は台東区浅草てことで、江戸の下町情緒が色濃く漂っております。歳のいった創業者の社長さんなんかはホント寅さんの映画か、落語の中に出てくるようなオイチャン。

「みなさん昼はもうお済みで、えっ、まだ?そりゃいけねー。ちゃんと食べねーと身体に毒だ。おーい誰か、こちらさんちょいと寿司ぃでもご案内して」なんて感じで、実にまあなんというか江戸情緒ってものをしみじみ感じさせていただいたものでございます。

さて、そういった浅草橋の爬虫類専門のハンドバッグメーカさんで仕入れた、オーストリッチの話。

オーストリッチといっても一般の、特に男の方はピンとこないかも分かりませんが、これはダチョウのこと。あの動物園にいる飛べないけど、図体ばかりやたら大きな鳥ね。

この鳥の皮革、即ち皮を鞣して革にした、ハンドバッグなんかに使われる高級素材なのでございます。一応鳥の皮ですが、バッグ業界ではこれは爬虫類の分類に入ってて、ワニやトカゲなんかの皮革を扱うメーカーが一緒に扱っているのです。デカい図体だから取れる皮も多いだろうに、なんで高級素材かというと、その皮の値打ちがあると言われている、斑(フ)のある場所が大きな身体の中でもほんの僅かな部分に限られているから。この斑と言うのはオーストリッチの実物の製品をお持ちの方ならすぐご理解いただけるのですが、皮革表面に均一に分布するブツブツの突起の事。これは形状からしても明らかに毛穴。つまり鳥の羽毛の生えていた跡なのでございます。つまりオーストリッチという鳥は写真で見ると羽毛がふさふさ生えているかに一見観えますが、実は首から上と足の部分はハゲちょろけで、この様子から見て、胴体の部分も一九分けのオッチャンの頭部よろしく、きっと範囲の広い地肌部分の露出を、他の部分の長い羽毛がカバーしているのでございましょう。

この大判の鳥肌、ブツブツがキモいと言えなくもないオーストリッチの皮革の魅力は、なんといってもその非常に強靭な丈夫さにあります。一般的によく皮革製品に用いられる牛革などですと、ひっかき傷に対しての耐久性がそれ程高くございません。特に高級素材カーフスキンなどと呼ばれます子牛の革などになりますと、人の爪がこすっただけですぐひっかき傷が生じます。しかし驚くなかれ、このオーストリッチの革はなんと五本の指の爪を立てて大人の男性がしっかりひっかいてもびくともしない。お疑いならお手持ちのオーストリッチのバッグなり財布で実験なさってみてくだい。見事キズが付きましても責任は持ちませんが、キズが付けばそれは他の動物、あるいは人口素材の皮に型押し加工を施したオーストリッチ類似皮革でございましょう。

オーストリッチの魅力は何も丈夫なだけではございません、この皮革を用いた製品を長らくご愛用いただきますと、このブツブツの突起から油分がじわりじわりと沁み出しまして、あたかも磨き込まれた銘木かなんぞの様な、何とも言えない良い艶を帯びてまいります。大概の皮革は使うほどに小傷が堆積し、美観が損なわれていくのに反し、この皮革だけは使えば使い込むほどツヤが出て魅力が増していくといった特徴がございまして、この魅力を一度知ったユーザーは二度とオーストリッチ製品から離れられなくなるのでございます。

 

さてこの高級皮革でありますダチョウの皮ですが、これから申し上げますことはあくまで、わたくしが浅草橋に仕入れ行ってました40年程前に聞いた話である事を念頭に、現状とはいく分かけ離れた話としてお聞きくださいませ。

当時、ダチョウという鳥は、何かと昨今話題にのぼる南アフリカで、一社独占で養殖、即ち人工飼育にて皮革及び食用として生産管理されていたのでございます。

良質のオーストリッチの皮革を手に入れるにはこの養殖のプロセスが欠かせない手段だそうで、何故かというと、この大きな斑、即ち立派な大きくしっかりしたブツブツの鳥肌を作るためには、その生えている羽毛を何度も人の手で毟り、毛穴を大きくさせる必要があるからだそうです。まあ人間でも手足の毛をカミソリで剃ると濃くなるなんて言いますが、きっと同じ原理なのでしょうが、何やらむごい光景ですねぇ。

さてこうしてブツブツの立派な毛穴に育ったダチョウの皮革ですが、なかなかいいモノを仕入れるのが難しいらしいのです。浅草バッグ屋の大将の言うには・・・

「いやね、日本人が行ったって良い皮はそう簡単には売ってくんねーの。まあ、南アフリカだから人種差別かと思ったらそうじゃねーんだよ。良質の原皮はみんなエルメスが金に糸目は付けずに、ごっそりかっさらっていっちまうんだ。そりゃあんだけ高けー値段で売るんだもの、相場無視の王様買いよー!だからここにあるオーストなんてアレだよ、エルメスの食い残し、残飯みたいなもんだよ、べらぼーめ!」

流石天下のエルメス、最高の原材料を仕入れるには金に糸目を付けぬ大人買い。

ただし、こういった大人買いは何もエルメス一社の専売特許ではございません。

あれから40年の時を経た今日でも、多くの有名ブランドがそのブランドイメージ維持のため、その製品の元となる原材料の調達には最大の努力と最高の予算を注いでいる事に変わりはございますまい。

という訳で今回もまた、弊社一押しのバイザヤードペンダントの賛美となる訳でございます。

さあ、回りくどくダチョウの皮の話からここにたどり着いたからには、察しの良い皆様ならもうお分かりでしょう。このペンダントに留まって燦然と輝くダイアモンド。これだってエルメスのオーストリッチと一緒。ティファニー社のダイアモンド仕入れにおける大量大人買いの賜物!

まあこの辺の最高クラスのダイアモンドとなりますと、いくらメレサイズとは言え、というか逆にメレダイアモンドはアクセサリーの様な小品からハイジュエリーの脇石にまで幅広い用途がございますので、有名ブランド間でもこの辺の良質の小粒のダイアモンドはもう一番争奪戦の激しいところ。もう大手ブランド入り乱れての大乱闘の有様。まあそれぞれ各社、独自の確実なルートをちゃんと開拓されてるのでしょうが、そういったルートの開拓にも定期的な量と金額の仕入れ約束をしない事にはおいそれとは確立できない。全世界に販売ルートをもつ人気ブランドジュエリーならではのその販売力、その実力に裏打された剛腕力業の商品調達力がこの一粒のまばゆい輝きに集約されているのでございます。しかもまともに買うとその力業の反動としての、あたしたち庶民にとっちゃ厳しい一流ブランド価格のお支払いを余儀なくされるところ、中古なればほれご覧の通り、お財布に優しい一般ジュエリー価格で買えるといった寸法。これを見逃す手は無いと思うよ、オイチャンはさぁ—。

 

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