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ハリー中野の宝石コラム

夏は稲川スイカにアレキ

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暗い夜道、空車のタクシーがあてどもなく流していると、突然街灯もまばらな寂しい場所で、うら若い女性が手を挙げて乗車の合図。車はスピードを落とし女性の横でゆっくりと停車いたします。

無言で乗り込んできた女性、沈んだ表情で何やらワケありな様子。

「えーっと、どちらまで?」運転手はきわめて事務的に声を掛けます。

女性は少し先に行った所にあるお寺の名前を消え入りそうな声で告げました。

ひょっとするとお通夜の参列かな、塞ぎこんだ様子でこんな時間、きっとそうに違いないと運転手は一人合点し、それならあまり話しかけない方がいいだろうと気をまわし、無言で車を走らせて参ります。

しばらく行くと、ちょうど信号で停まったのでチラッとバックミラー越しに後ろを確かめます。するとどうした事か座席にいるはずのその女性の姿が見えません。具合でも悪くなって座席に横たわったのかと思い、運転手今度は身体をよじって後ろを覗き込むと、なんと乗車してるはずの女性の姿が全くありません。

ギョッとした運転手、運転席から転げ落ちるように車外に飛び出ると、後部ドアを開け中をのぞきこみますが、客席はまったくのもぬけの殻。乗っているはずの女性の姿が忽然と消えております。

ただ、その女性の座っていた付近を中心に座席がびっしょりとバケツの水をぶちまけたように濡れ、雫が床にまで滴り落ちて辺り一面水びたし。その時運転手、身中より言いようのない恐怖がこみ上げ、全身にけいれんの様な震えが襲うと同時にまさに絶叫、喉も割れんばかりの悲鳴を発したのでございます。

ぎゃーーーーっ!!!

さて、こういったお話し、中川家の漫才のネタにも使われるほどポピュラーな怪談話なのですが、こうした怪談のお約束と言うかオチと言うか、最後に必ず主人公が「ぎゃーっ!」っと絶叫し、恐怖におののくサマでエンディングを向かえるわけなのですが、これにはいささか疑念の余地が残るところがございます。

実際、わたくしも実体験としてお化けを見た経験がございます。

あれはもう今からかれこれ二十年程も昔の事ですが、例によって仕事の付き合いで呑んだ帰り道。最寄りの駅から家路をたどり、酔っ払いの千鳥足で夜道を歩いておりました。すると、ちょうど民家の生垣に接するように建てられた電柱、そこから延びて夜道を照らす街灯のその潤むような光源に照らされ、人の顔がくっきり浮かんでいるではないですか。

「あれ、誰かおるやん。あんな高い所に上って何しとんねん?泥棒か?」

「それにしてもおかしいなー。泥棒やったら家の中の様子を窺っていそうなものやのに外向いとる。それにその身体を支えるような足場らしいもんが見えんし」

「あれ?ひょっとしてオバケ?オバケか、オモロ!そんなもん滅多に観れるもんやない。もっとじっくり見てこましたろ」

こうした考えが一瞬にして頭をよぎるや興味にかられたわたくし、ずんずんと歩を進めそのオバケらしい顔を目指し近づいてまいります。

しかしながら、近づくにつれてその顔を構成していた陰影は徐々にただの木々の葉や建物のパーツヘと分散して行き、その顔らしく見えたものは文字通り雲散霧消、消えてなくなってしまったのです。

まあ大体オバケの正体というものは、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と言うとおり、こういった見誤り、偶然の錯視がほとんどなのでございましょう。

ただ、昔から世界のいたるところでオバケの話というものが存在しているわけでございますから、それを完全否定するつもりもございません。実際そういったモノがこの世あるならば、この目でしかと見てみたい。ついでに対話が可能ならば色々と聞いてみたいこともございます。

「突然こんなこと不躾にお聞きするのもなんなんですけど、おたくさんもしかして幽霊さんでっか?」言うてね。

そもそも幽霊が居てる言う事は、あの世、つまり死後の世界があるわけで、死んでもそれで全てがおしまい言うんやなくて、テレビゲームなんかでよくある、次のステージへ進むみたいな感じでワクワクしますやん?よく言うようにあの世で懐かしいあの顔、この顔にまた会えますやん。

ウチのお父ちゃんはボクが四つん時死なはったさかい、今会おてもボクのこときっと分かってくれはれへんねやろなー?おとーちゃん!言うて飛びついていっても、なんやこのジジイ、こんな爺さんに父親呼ばわりする筋合いはない、失敬な、なんてかんじで完無視されんねやろか、なーっ、お父ちゃーん!(ここ泣くとこでっせ、泣けよ~)

前に見たテレビ番組で、モニタリング言うんですかな、昔で言うところのどっきりカメラ式の有名タレントをだまして驚かし、そのリアクションを楽しむ趣向のヤツね。

これに人気タレントの滝沢カレンちゃんとジミー大西画伯が深夜の路線バスに乗って、乗客が二人きりになったところで仕込みのオバケが登場するというドッキリ企画。そこでもうすっかり恐怖におののき、座席で固まってるジミーちゃんを尻目に、カレンちゃん平気でオバケに興味深げに近づいて行き、あまつさえ会話さえするという行動が観察されたのです。

この時の滝沢カレンちゃんのこの行動こそが、理性ある人間、神秘に対する科学的アプローチの正しい姿勢であると思うのでございます。

大体むやみやたらにそういった未知な事柄に怯える事自体、迷信などの先入観に深くとらわれているが故の、発想の自由、探求心の枯渇のなせる業。呪術に縛られ生きる未開の蛮族の振る舞いにほかなりますまい。

闇夜にうごめく白い影イコール幽霊という決めつけ、見つかったら祟られ、黄泉の世界へ連れ去られる言う何の根拠のない思い込みが恐怖を生み、折角の自然の幽玄なる神秘に触れる機会、楽しみを失わせているのでございます。

タクシーで消えた女性の話でも、もしわたくしが当事者の運転手であったら、とりあえずそのびっしょり濡れたシートの液体を指でひとすくいして臭いを嗅ぎ、舐めて味見を致すことでしょう。甘いかしょっぱいか、尿かただの水かを検証しますな。科捜研のオヤジや。

さて、ご覧いただいておりますアレキサンドライトという宝石も見る環境、そこにある光によってその石そのものの色が変化するといった、極めて神秘的な光学特性を秘めた宝石なのでございますが、この宝石とて最初の発見者がその不思議な特徴ゆえ、石に魔物や悪魔が宿り、持ち主に不幸をもたらすなどと悪い方に思い込んで廃棄してたら、今頃ここでご披露におよぶことも叶わぬところ。

このアレキサンドライトという宝石、ご承知のように1830年、ロシア皇太子の12才の誕生日に発見さてたことにちなんでその皇太子の名、アレクサンドル二世にちなんで命名された由緒正しい宝石。太陽光下ではグリーンに、白熱灯下では赤紫に見えるのはすでにこのコラムご愛読の宝石好きの皆様は先刻ご承知のところ。

ただし、この石、高額な希少石と厳めしい名前のせいか、どうしてもオーソドックスで無難なデザインが多いのでございます。ところがこちら、ご覧いただいております様に遊び心溢れるカジュアルなデザイン。普段気軽にお楽しみいただける気のはらないデザインなのでございます。このような高額なレアストーン、希少石を使ってのくだけたデザインこそ本物のラグジュアリーと言えるのではないでしょうか。

オバケはオバケでも、オバQとかキャスパー言う感じかな、ってやっぱ毎度のことながらちょっと例えが古うてすんまへん。

掲載ページはこちら → https://item.rakuten.co.jp/douxperenoel/11003775/