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2021年9月

ハロウィン

no subject
 

9月もあと少しで終わり
今日はショーウィンドウをハロウィン仕様にかえてみました。

ステキなジュエリーがたくさん揃ってますのでチェックしてくださいね(^.^)
Aでした(^^)

不気味なくらい美しいギメルの指輪

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前回に引き続いての映画のお話。映画と言えばこの語り口、わかるかな?

さて皆さん、前回も少し触れましたが、今回のお話は、映画とその元になった原作の関係についてなんです。

たいていの人気小説は映画化されることが多いのですが、さて、そのどっちが、つまり元の小説がええのんか、いやいや、やっぱり百聞は一見に如かずというが如しで、視覚に訴える映画の方がええんちゃうのという議論が、そういった人気小説の映画化、あるいはその作品が話題作や人気作になる度に起こりますね。

 

例えば、古くはアメリカ南部ジョージア州はアトランタに住んではった、マーガレット・ミッチェルというごくごく平凡な普通の主婦が書きました、アメリカ合衆国の国土を分断した争い、南北戦争に題材を取りました長編小説「風と共に去りぬ」。

このお話、このおばちゃんが初めて書いた処女作にもかかわらず、一躍世界的な大ベストセラー小説となってしまったのです。

主婦やのに、処女作とはこれ如何に。

いちいちしょうもない事言わいでよろし。

さあ、そこで抜け目のない映画業界、これをハリウッドのメトロゴールドウィンメイヤーという、あのオープニングでライオンがガオー言うて吠えとる映画会社ね、この映画会社が主演ヴィヴィアン・リー、クラーク・ゲーブルその他、キラ星の如き豪華俳優陣をそろえ、三時間を越える上映時間の超大作に仕立て上げました。

この映画もご存知の通り空前の大ヒットとなりまして、アカデミー賞は当然の如く総なめ、映画史上に燦然と輝く、誰もが認める名画、名作となったわけでございますが、この時分から、やっぱり原作のほうがええで、いやいや映画が原作を超えたんちゃうんと、喧々諤々の議論が巻き起こったんですねー。まあ、そんなん観る人読む人の勝手やと僕なんか思うんですけどねー。

また、こういった小説と映画の論争の中には、なんと原作者が出来上がった映画が不服や、勘弁でけん言うていちゃもん付けてくる場合もあるんです。

その代表例が、アメリカのホラー小説の第一人者にして、人気小説家のスティーブン・キング、この人の小説「シャイニング」を、これをまた天才、鬼才の呼び声高い映画監督スタンリー・キューブリックが映画化し、タイトルもそのまま「シャイニング」として作った映画のケース。

さて、原作者のスティーブン・キングはなんでいちゃもん付けたかというと、原作に忠実なのはタイトルだけで、中身はストーリーから、キャラクターの設定や性格までもが映画では大きく変更されていたんですねー。

「ちょっと兄ちゃん待ったりーな。これちょっとおかしないか?ワシこんな話書いた覚えあらへんで。勝手な真似してもたら困るわ、洒落ならんで、正味のはなし」

言うてね、もうスティーブン頭から湯気出してかんかんに怒って怒鳴り込んできたらしいんです。しかし時既に遅し、もう映画は公開されてて、泣こうが喚こうが後の祭り。

しかし映画は大ヒット。今でもホラー映画の金字塔の呼び声高い伝説の作品となったわけでなんです。皆さんも例のジャック・ニコルソン演じる主人公が、斧で叩き割ったドアの隙間から鬼気迫る恐っそろし気な顔出してるスチール写真、いっぺんくらいは見たことありますやろ。

まあ、映画が当たれば当然原作を読んでみようかという人も増え、したがいまして本の売れ行きも、そのシャイニングだけに留まらず他の作品にも波及して伸びたんです。

そんな具合の痛し痒しで、そんならまあ今度目だけは堪忍しといたろかと、スティーブンも渋々鉾を納めたという訳。知らんけど。

ただ、スティーブン・キング先生余程ムカついたのか、後年自分でプロデュースしてこの「シャイニング」をテレビ映画という形で再度世に問うたんです。

ただし、やはり餅は餅屋で、同じ映像の土俵で争えば当然結果は明らか。なんせ相手は映像の魔術師なんですからね。

さて、この映画「シャイニング」、粗筋をざっと述べますと、売れない小説家ジャック・トランス、映画では先にも申しましたとおり、かの名優ジャック・ニコルソンが演じておりますが、その彼が、冬の間は厳しい気候のせいで閉館され、全くの無人となるコロラド山中の高級ホテルに住み込みの管理人として雇われ、妻と一人息子の一家を引き連れてこのホテルへやってまいります。

 

採用面接の際、実は過去にも冬季の管理人を雇った事があるのだが、長期に渡る豪雪に閉じ込められた閉塞した生活の為、その管理人は精神に異常をきたし、あろうことか、自らの双子の娘を斧で斬殺した挙句、自らも命を絶ったという事件を、面接に当たったホテルの支配人から知らされます。

そうは聞かされても、ジャック・ニコルソン演じるジャック・トランス、少しも動じる気配無く、こちらは作家が本業、むしろそういった静かな環境は作品執筆にあったて望むところと一笑に付してしまいます。後々同じ運命が自らの身に降りかかるなどとは思いもしないで・・・

さて、この同じ不幸な運命をもたらした元凶は、ホテル支配人が説明した長期の閉塞生活のせいではなく、その豪華ながらも古いホテルに巣食う悪霊に取りつかれたがゆえの暴挙だったのです。

さて、物語の顛末はDVD等で本編をご覧いただくことと致しまして、その管理人ジャックがあちらの世界に取り込まれていく過程として暗示的描かれておりますのが、巨大なボウルルーム、つまり舞踏会場のシーンなんです。

最初は当然、無人の空っぽで広大、暗い空間がしんと静まって広がっているのだけの部屋なのですが、ある日気分の滅入ったジャックが腰掛けた舞踏会場の片隅にあるバーカウンター。ふと見上げるとそこだけ煌煌と灯りが点り、なんと正面に突然バーテンダーの姿が。

正気であればここで腰でも抜かすほど驚くはずが、あちらの世界に引き込まれかけているジャックには平常の光景と映り、「今日はちょっとヒマそうじゃない?」などとバーテンに話かけ、最後はちゃっかり、ツケでバーボンのロックまで飲ませてもらうのです。

そして時がさらに過ぎ、二回目の舞踏会場のシーンでは会場の外までジャズ楽団の演奏する甘ったるいオールドジャズが流れ、会場内は居るはずのない多くの人々であふれ、宴もたけなわ、実に華やかな様子。

しかし良ーく目を凝らしてみると、なにか変だなと映画を観ている人は妙な違和感を感じる仕掛け。

それは、日本人の我々にはあまりピンとこないかもわからないのですが、そのパーティーに集い興じる人々の服装なのです。

特に女性の衣装は、仮装パーティーもかくやとばかりの非常にクラシカルな雰囲気。厳密に言いますと、ジャズエイジと呼ばれたアメリカで1920年代に隆盛を極めたフラッパーと呼ばれる緩やかで独特のシルエット。そうなんです、この宴は過去に生きるお化け達のパーティーなのです。

 

という訳で、突然ですが、このオバケの宴の雰囲気にピッタリな指輪がこちら。

大粒の非加熱スピネルをギメル社得意のダイアパヴェセットのリングの上、大胆にも八本のゴールドの爪でもって捧げる持つような、実に優美なデザイン。

そして何よりも魅力的なのが、この非加熱スピネルの妖しい紫の色。

いかにもアヤカシ、モノノケといった黄泉の国の風情をたたえた、この世もモノとは思えぬ蠱惑的で抗しがたい魅力が宝石の奥底から湧き出てまいります。

そしてこの魅惑の宝石を、奇跡のように煌めくダイアモンドが贅沢に敷き詰められてあるゴールドの台座が、豪華絢爛に縁どっているのでございます。

ボウルルームに集う、フラッパーファッションの緩やかな広がりのドレスをまとって、パッツンと切った前髪のショートボブの女性が、長いキセルのようなシガレットホルダーで紫煙をくゆらす、まさにその指こそが、この指輪の煌めく場所。その風情に幻惑されてジャックは、1920年代のジャズエイジの世界へ引きずり込まれて行ったのでしょう。

映画のラストシーン。

Overlook Hotel July 4th ball 1921と日付の入った舞踏会の記念写真の中央。

取り込まれたジャックが、嬉々としたにこやかな表情で、その他大勢のゴースト達と一緒に写真に納まる様子を見るにつけ、妖の世界も悪くないんじゃない、とつい思ってしまうのでございます。

掲載ページはこちら → https://item.rakuten.co.jp/douxperenoel/11003565/

 

 

 

緋色珠の指輪はサラサーテの音色

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新卒で入社した宝石屋ですが、入社二十年目にして転職したのが、現在勤めている会社の前に居りました質屋。

質屋の看板に掲げるからと、多忙な社長になり代わり、GIA(米国宝石学協会)の宝石鑑定士の資格を取りに行くようにとのお指図がありまして、大嫌いな勉強を四十になってしぶしぶ再開する羽目となってしまいました。

なーに、多忙が聞いてあきれる。単なる無精で根気がない怠け者なだけなのですが、一応社長と名前が付けば逆らう訳にもまいりません。

聞けば、その研修はなんでもAGTというところで開講してるとの事。

いったい何で映画会社が宝石鑑定士の教育までやってんだろ、と訝しく思っていたら何のことは無い、そそっかしいわたくしがAGTとATGを勘違いしてただけ。

 

AGTとは、もともと日本宝石鑑別協会(Association of Japan Gem Trust)と名乗っていた宝石の鑑別鑑定及び各種宝石セミナーの提供といった業務を行っている会社で、もちろんGIAの勉強はこちらに行かないといけません。

片やATGとは日本アートシアターギルドという映画製作配給会社で、わたくしが若かりし頃、アートと名乗るだけあって、何やら難解で暗い映画ばかり作って、屈折した若者をより屈折させんが為に映画を作っているような会社でありました。

例えば現代の人気テレビドラマシリーズ「相棒」で主役の杉下右京なる気取った刑事を演ずる水谷豊でございますが、なに昔はATG制作、原作 中上健司 監督 長谷川和彦と聞いただけでもディープな内容を予感させる「青春の殺人者」という映画の中で、なんと両親を二人とも殺めてしまう残虐非道ぶり。何を今さら刑事に化けて、しれっと紅茶なんかすすってやがんだテメー、と豊の暗い過去を知る者としては憤らずにはおれません。まあ、こんな映画を独り見に行く学生だったわたくしもかなりの屈折君ですけどね。

 

さあ、そんなATG制作の映画の中でも特に印象深いと申しますか、わたくしが深く感銘をうけた作品が鈴木清順監督による「ツゴイネルワイゼン」という、そうそうたる内外の映画賞を総なめにした映画史に名を遺す傑作。

この鈴木清順という人、元々は日活でマイトガイ旭やエースのジョーなんて俳優をキャスティングしては、無国籍映画などと呼ばれた娯楽アクション映画を撮ってた監督なのですが、あまりの内容の難解さ故、とうとう日活を馘になってしまったというなかなかの曲者。

この偏屈なおっちゃんがなんと、一切の妥協を許すことなく自分の取りたい映画を撮ると宣言して作ったのがこの「ツゴイネルワイゼン」。

この映画、原作はかの文豪夏目漱石の弟子であり、また元祖鉄道オタクで愛猫家。大飯喰いの大酒呑み、そしてこれもかなりの偏屈者として有名な内田百閒という人が書いた、「サラサーテの盤」という小説が原作。

百閒先生、この小説のほかにも「冥途」などという小説もそうですが、筋がある様で無く、しかもそこはかとない不気味さを孕んでいる物語を書くので有名。

さて、「ツゴイネルワイゼン」と名前も変えた映画の方も原作同様、というか原作を更にアレンジし、より難解にしたような、ストーリーがあって無きが如きの映画。

じゃあ、なにが良いんだというと、その圧倒的な映像美なのでございます。

「清順美学」と後に評されるよう、独特の美意識で見るものを圧倒する、まさに映像芸術の究極的な形。ワンシーン、ワンシーンがそれぞれ一幅の絵となって観る者の心を揺さぶるのでございます。

小説の映画化に当たっては、原作と映画化されたものをよく比較され、やはり元の小説が良いという意見もあれば、出来上がった映画は小説と別物。別の視点で論ぜられなければいかんとか、様々な意見がございます。

しかし、小説に無くて映画にある最大の売り物はやはりその映像。その映像がどのように素晴らしいかを言葉では言い表すことは至難の業で、実際の映像をご覧いただくより他ございますまい。

それでも、敢えてこの「ツゴイネルワイゼン」において表現されている核となる点を指摘するならば、それは日本的な美意識である様な気がいたします。

映画の舞台となった鎌倉の景色。和洋折衷の明治以降に登場した独特の日本家屋。その軒下に吊るされた白熱球がぼんやり灯る球体の電灯。大きな蒲焼をまるまま一本載せた青磁の大皿。そして登場する女優たちの美しい着物姿やその容姿。

日本的な色使いは西欧絵画と日本画を比較すれば明らかなように、色彩の暗さというか鈍さがその特徴なのではないでしょうか。西欧ではゴッホの絵画の様に、燦燦と降り注ぐ惜しみない太陽の光の下で、眩しいくらい咲き誇るヒマワリを描写するのですが、日本の場合、薄暗い部屋のちゃぶ台の上かなにかに置かれた柘榴の実を描き、暗さとの対比の上で色の鮮やかさを表現すると言った、屈折した日本人の心情が投影されているような表現方法が多いようでございます。この映画全体を一貫してしてつらぬいていますのも、こういった日本独特のネガティブな耽美主義とでも言うべき、暗く屈折した美意識ではあるまいかと思うのでございます。。

さて、宝飾品におきまして、そう言った日本的な美意識に最も則った宝石というのが、これからご紹介いたします珊瑚ではございますまいか。

この赤い珊瑚、その色は血赤(チアカ)などと表現されますように、まさに血液の色。

ただ同じ血液の色で評される宝石、ルビーのピジョンブラッド、鳩の血色とでは性質的にも大きく異なります。ルビーの色が動脈を流れる生命力溢れる鮮やかな色の鮮血とするなら、こちらは静脈を流れる暗い血の色。

宝石、特に色石の評価の基準はその色の彩度が高い事、つまり鮮やかさが一つの要因となるのでございますが、この赤珊瑚だけは独特の評価基準がありまして、鮮やかな真っ赤より、それにさらに黒を混ぜて色を濃くしたようなものが良いとされるのでございます。

さて、ご覧いただいておりますこちらの赤珊瑚の指輪。お色は黒い血とまでは行きませんが、安価な橙色の物とははっきり異なる、しっかり均一に赤色の乗った充分に美しい赤玉。

そして凄いのがこの大きさ。直径17ミリを超える滅多にない大玉。その大きな珊瑚の周りを1個がどれも0.2キャラット以上ある美しいダイアモンドが合計14個豪華に取り巻く贅沢極まりない造り。

今の様に世知辛い世の中、着物道楽などと言って和服をお召しになり、生け花やお茶を嗜む優雅な暮らし向きをなさっているご婦人はそう沢山いらっしゃるわけではございますまい。ただ、そのような伝統的な日本の美を体現され暮らしておられるお方には是非お勧めしたい逸品でございます。

この様な大玉珊瑚は環境汚染や乱獲の影響でますます希少性がますばかり。

日本の美を、そのライフスタイルを通して頑なにお守りいただいている、麗しくたおやかな大和撫子にこそ、ぜひこの掘り出し品の珊瑚の指輪を後世にその暮らし向きともどもお伝えいただければと思う次第なのでございます。

 

掲載ページはこちら → https://item.rakuten.co.jp/douxperenoel/01002451/

 

 

 

非凡な凡人チャーのダイアペンダントネックレス

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今は亡き人気作家の中島らもという人の書くものは面白いと思っていたところ、喋ってるご本人は更に面白いという事を最近YouTubeを観て発見したのである。

江戸落語を評してテンポ良い小気味いい喋りなどと申しますが、氏の語り口調はこれの真逆。

噺口調のベースになっているのが、尼崎ご出身の事とて、もっちゃりした関西弁。このベースの関西弁をとろろ汁でのばして、卵白を加え納豆であえたような粘りのある、また途切れる事のないダラダラ喋りがのろのろと進行していくのである。

そして、その話す内容たるや、氏の書くエッセーや小話と同様、諧謔溢れる抱腹絶倒の内容だからたまらない。

 

もちろん最近のM1なんぞのテンポの速いノリツッコミに慣れた若人諸氏にとってはいささかタイミングの合わない、それこそカッタルイぼそぼそ語りで、そのペースについて行く事すら難儀であろうことは想像に難くない。しかしこのスローな話術に一度引き込まれるともう癖になって抜け出すことは困難。明らかに中毒性をもつ危険な喋りと言える。

 

さて、この中島先生、兵庫県尼崎は立花というところで歯医者を営むお家に生まれ、幼少のころは神童と呼ばれた優等生。

進学校として名高いかの灘中、灘高と学業の道を順調に邁進するも、どういう訳か高校半ばで勉強に嫌気がさし、ロックンロールに溺れ、酒や薬物に手を染めた末、ついにドロップアウト。

まあドロップアウトとはいうものの、そこはお医者様のお坊ちゃま、一応は大阪芸大に進学、無事就職も果たし、ちゃんとしたサラリーマンにひとまずは落ち着く。

その後アル中になったり、うつ病になったりの紆余曲折を経て、コピーライターに転じたあたりから運命は好転し、その後はとんとん拍子に名コラムニスト、作家、劇団主催者、ミュージシャンと時代の寵児として大活躍する事となったのはご存知の通り。

 

さて、最初コピーライターだった氏が、何故コラムや小説の道に進むようになったのかという理由がまた振るっている。

周りを見渡しても、読んでみたいようなおもろいコラムや小説が見当たらない。それなら自分で書いてみようという、言わば自給自足の精神からというから面白い。

そう言えば、私自身もはたして最近読んでみたい小説やら雑文などというものが見当たらない。いっそのこと中島先生に倣って自分で自分をエンターテインするオモロイ話でも執筆してみるか。弊社会長も「オマエいっそ物書きにでもなったらどやねん」と以前ご助言下さったことですし。

と、こういった他者のおちょくり半分の甘言に惑わされ、自惚れに乗じ、勘違いをする人が後を絶たない為、地道に職工勤めでもすれば、貧しいながらも幸せな家庭を築けたかも知れぬものを、一生を筒井康隆先生の小説「大いなる助走」ではないが、無駄な時間を無駄な事に費やし一生を棒に振り、生涯貧乏文学書生で終わる痴れ者が後を絶たぬのである。

 

こういった、自分の見果てぬ夢を追うが故に人生をしくじる者は何も物書きの世界にとどまらず、芸能、芸術、スポーツの世界と、ありとあらゆるジャンルで自らの才能を過信し、その結果、人生の終末を貧民窟のあばら家、スラム街の路上で無残な孤独死を迎える人がどれほど多くいる事であろうか。まことに嘆かわしい。

かかる不幸な道を前途ある有望な青少年に歩ませぬ為の警鐘という意味において、以下の文を熟読されたい。

 

さて、青少年諸君、まずはこのダイアモンドペンダントネックレスを観たまえ。

宝石、宝飾品に疎い諸君等には解るまいが、こちらは日本が世界に誇るチャーという高級ブランドジュエリーの素晴らしいネックレスなのである。

素晴らしいと言っても、素人諸君には一体なにが素晴らしいのか一目ではわかるまい。

何故なればこのネックレス、デザインの面においてはまったく定番のどこにでもあるダイアモンドを縦横三個ずつ並べただけの、プラスマークのようなデザイン。つまり何の変哲もない凡庸なデザインといって過言ではないのである。

ならば、なにが素晴らしいのかというと、このペンダントに使われている五つのダイアモンド。これが凄い!

鑑定書が付属してないからはっきりとした事は言えないが、全てのダイアが婚約指輪にそのまま載せ替えて使えそうな高品質。DEFカラーのVVSからVSの範囲で、カットだってどれもエクセレントが出るんじゃないかというくらいの素晴らしさ。

因みにこんな定番のデザインを甲府あたりの宝飾メーカーが普通に作りゃ、ダイアのグレードがGからIの間の色で、SIかIあたりのクラリティ、せいぜいカットもグッドが出れば御の字のダイアで拵えるはず。

当然、出来上がりの差は歴然。そこそこのダイアで制作した製品はこの平凡なデザインも手伝って、どこにでもある凡庸で退屈な装飾品となる。

かたや、こちらチャーの方はどうかというと、高品質ダイアモンドのみがもつブリリアンス、シンチレーション、ファイアーといった輝きの迸りが奔流となって放射され、見る者の眼を眩ませるわけで、それゆえ過度なデザインはかえって邪魔。このような抑えた定番デザインがダイアの輝きをお楽しみいただくには最適ということでこのデザインに治まったわけ。知らんけど。

 

さて、皆様方におかれましては、自分自身をこの非凡なチャーのネックレスでは決してないと心得る事が肝心。

蛙の子は蛙、かもめはかもめ。大体自分の親を見れば自分の正体は自ずと知れるもの。トンビが鷹を生むなんて事は、実際そんなことが自然界で起こりえぬように、起こりえません。

平凡なオッサンに見えて実はノーベル文学賞でも取ろうかという村上春樹のようなのに騙されてはいけません。大方の平凡に見るオッサンオバハンは、あるいは一見非凡に見える人でさえ、大概は凡人なわけですから。

前途ある青少年の皆様、あたら非現実的な妄想に取りつかれること無く、是非親御様同様凡夫凡人として人生を過たぬよう、地道に生き抜いて頂きたいものでございます。

 

その様な凡夫凡人に生まれた方への慰みとしてこちらのチャーのような、頑張れば手に入る非凡な商品があるわけですから。

 

因みに小生只今芥川賞直木賞泉鏡花賞あたりを狙い、質屋を舞台とした抱腹絶倒なお笑い小説の構想を練っておるところでございます。

以前、難波利三先生が実際大阪にあった質屋をモデルに「草暖簾」という退屈な小説を書いておられますが、これをパロって、これも実在する大阪の質屋をモデルに「臭暖簾」という題で文学史に金字塔としてその名を刻む傑作小説を執筆すべく、余生の手慰みとして準備進行中であります。

乞うご期待!

掲載ページはこちら → https://item.rakuten.co.jp/douxperenoel/11004295/

 

Breakfast at Tiffany's

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夜明け間近、まだ薄暗いひと気のないニューヨークの街角。                                       一台のイエローキャブが、都会の喧騒と言うにはまだしばらくの時を要す、寝静まった大都会の大通りに静かに現れ、荘厳な意匠を凝らしたビルの前で一人の華麗な衣装をまとった女性を降ろします。                                          

女性はビルの一角にある大きく設えられたショーウィンドウの前に佇むと、紙袋からパンと飲み物の入った紙コップを取りだし、そのパンをショーケースを眺めながら、おもむろに頬張り始めます。

これは、映画「ティファニーで朝食を」の有名なオープニングシーン。                                   バッグに流れる美しい調べは、この映画の為に書き下ろされ、のちに不朽のスタンダードナンバーとなる、ヘンリー・マンシーニの傑作「ムーンリバー」。そして、このティファニーの軒先で大胆にもパンを頬張る女性を演じた女優こそ誰あろう、永遠の妖精オードリー・ヘップバーンその人なのは言うまでもありませんね。

映画の内容は、オードリー演じる不幸な生い立ちを背負う田舎出身の女性が、巨大都市ニューヨークでの大成功を夢み、金蔓になる大富豪を見つけんと怪しげな人間関係の中で一見、今でいうところのパリピ生活を謳歌している風に装って暮らしています。しかし、実のところは明日の見えない現状ゆえの葛藤によって生じる鬱々たる気持ちを、唯一ティファニーのお店を訪れる事よって解消している心の荒廃を抱えているのです。                         

そんな中、売れない作家ゆえにお金持ちのマダムのヒモとして糊口をしのいでいる男性と偶然知り合い、紆余曲折を経ながらも、最後ハッピーエンドで結ばれるという、まあ他愛ない、典型的なハリウッド式ラブロマンス。

ただし、この映画にはもう一つの側面があるのでございます。                                      それは、壮大に仕掛けられたティファニー社のコマーシャルメッセージ、つまり宣伝広告、プロパガンダ戦略という点でございます。さて、このマーケティング手法、デ・ビアス社のそれの様に綿密に計算された戦略なのか、あるいは有名宝飾店ティファニーを映画の舞台としたため偶然、結果的にそうなってしまったのかは、浅薄なわたくしの知識の及ぶところではございません。しかし、この映画をきっかけに五番街ティファニーがニューヨークの観光名所の一つとなり、ブランドの名声も一段とその地位の向上を見たのは間違いのない事実。

なにせ、冒頭に挙げたオープニングシーンだけで充分、現代においてすらそのままプロモーションフィルムとして使えるような仕上がり。しかも、そのシーンでオードリーが身にまとってるコスチュームはなんと「モードの神童」と呼ばれたフランスの有名ファッションデザイナー、ジバンシーの手によるもの。このドレスはその後「オードリー・ヘップバーンの黒のジバンシードレス」と呼ばれるほどにモードの世界で名声を博したとか。このドレス以外にも劇中にはジバンシーをはじめとする有名デザイナーの作品が衣装としてオードリーの華奢な姿態を包み、映画自体があたかも雑誌ヴォーグを眺めるかのような、お洒落好きにはたまらない趣となっていて、否が応でもティファニーのイメージアップに貢献しているのです。

もちろん宣伝は、このようなお洒落なムードのみの感性に訴えるだけのイメージ広告だけでは終わりません。

こちらもまた映画のワンシーン。大のティファニー好きのオードリー演ずる主人公に連れられてティファニーをカップルで訪れた売れない作家の彼。彼女へのプレゼントに相応しいものは無いかと対応に出たおじさんの店員に聞くのですが、なにせ貧乏文士とて予算は何と10ドル以下で賄えるもの。流石のベテラン店員も頭を抱えて困ってしまいます。ようやく思いついたのが、銀製のティファニーオリジナルの電話のダイヤルを回す棒。今で言うところのノベルティーグッズとでも言うものでしょうか。さすがにこんなものではと思ったのでしょう。青年やおらポケットから指輪を取りだし、この指輪に刻印はしてもらえるのかと問い質します。

一旦指輪を受け取った店員、矯めつ眇めつこの指輪を検分した後、「これは当社の商品ではございませんね」と青年に問うと、お兄ちゃん悪びれる風もなく、お菓子かなにかのオマケの指輪だと告げます。                                        ここで、さすがの慇懃無礼な紳士面した店員も態度が豹変。ついに堪忍袋の緒が切れて「無礼者めが、ここを天下のティファニーと知っての狼藉か?身分をわきまえぬ貧民が言うに事欠いて・・」とでも怒り出すかと思いきや、おじさんにっこり笑って

「こういったご注文はあまりお受けしてないのですが、手前どもは物わかりの良い店でございます故、かしこまりました。お引き受けいたしましょう」とあっさり引き受けてくれるのです。                                               まあ、なんと粋で親切で素晴らしい対応なのでしょう!赤井英和が婆さんおぶって階段昇るより、宣伝効果が上がる事間違いなし!

この映画の世界的大ヒットにより絶大な宣伝効果を得たティファニーではございますが、世の中何事も良い事の裏には難儀が潜むもの。

何が難儀かというと、この映画のあまりの大ヒット故、<ティファニー=オードリー・ヘップバーン>のイメージが固定化され、顧客のニーズも無意識のうちにオードリーのイメージを商品のうちに求める様になってしまったわけでございます。

特にティファニーをニューヨークの観光スポットの一つとして訪れる様な本来のティファニーの顧客層とは大きく隔たりのある一般顧客にウケる商品を開発しなければなりませ。なにせ映画の中で物わかりの良いなんて言っておきながら、いざお店に入ったら目の玉の飛び出る様な、庶民には無縁なハイジュエリーばかり並んでいたのでは、顧客の期待を大きく裏切る事となり、せっかくの赤井英和効果が水の泡。

そこでティファニーもシルバー製のお土産グッズに始まり、いろいろな買回り品をたくさんそろえる羽目になったのでしょうが、中でも秀一なのがこれからご紹介いたすところのバイザヤードペンダントのシリーズ。

こちらはティファニー専属ジュエリーデザイナー、エルサ・ペレッティーの代表作とも言われる商品群なのでございます。

ダイアモンドのペンダントネックレスなのでございますが、そのデザインを極端なまでに無駄をそぎ落とし簡素化し、それによって逆に良質なティファニーのダイアモンドの煌めきを最大限に引き出そうという目論見。この狙いは見事的中し、これ以上ないシンプル&エレガンスな雰囲気を醸し出しているのでございます。

その様子はあたかも映画の中での一場面、着飾らない普段着の姿でギターを爪弾き、自ら映画のテーマ曲、ムーンリバーを歌ったオードリーの様子そのままを表しているよう。

デニムパンツにスウェットシャツのような衣装の中で、美しいダイアモンドはジバンシーの高価なドレスにくるまれているよりも尚一層、強い輝きを発しているように見えるのでございます。

 

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痛い、、、

お久しぶりです!!

ブタゴリラです!!

先日のお休みに、約3時間ほどかけて作りました。

ビスの量が半端なく、電動ドライバーもないため手動でこつこつと。

気づけば、指の皮がめくれておりました。

何より使い勝手がよく、重宝しております。

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小粋な女性のネックレス

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粋(イキ)なんて言葉は最近あまり流行らないようでございます。

下手に「おっ、粋だね!」とか「小粋なナリしてんじゃねーかい」なんて言おうものなら、一体いつの時代の人間かなんて疑われちゃいますよね。

「いき」あるいは「すい」という言葉の意味はウィキペディアによりますと、

 

“江戸時代に生じ、時代に従って変転した美意識(美的観念)で、遊興の場での心意気、身なりや振る舞いが洗練されていること、女性の色っぽさなどを表す語”

 

となっております。

この言葉の逆は野暮という事で、現代で言うところのダサイということになるのでしょうか。

ではこの「粋」という言葉、現代では粋の代わりにどんな風に表現しているのでございましょう?

アカ抜けている?洗練されている?スタイリッシュ?カッコイイ?どれもみんなピント外れなようでしっくりきません。

 

昨今はファッションも多様化してまいりまして、一概にこれがお洒落、イキで、こういうのはダサイ、つまり野暮だと簡単に選別する事が難しくなってきているのも事実でございます。

今では普通に男性のシャツの着こなしとなっている、シャツの裾をズボンの内側にたくしこまず、外に出して着る装いも、一昔前では「野郎なんてだらしねーカッコしてやがるんだ、近ごろ流行りのフーテンに違げーねー。ひとつとっちめてやらねーと」なんて事でいきなり見知らぬ人に殴られたりしたものです。

この様に時代の流れと粋という事も深い関係がございまして、「時代遅れ」なんて言う言葉通り、その時代、時代にマッチしてなくては、なかなか粋とは言われないようでございます。

 

さて、それではファッション雑誌の教え通り、時代に即した風体の身繕いをし、流行りのブランドで見の周りを固めればそれでOKかというと事はそんなに簡単なものじゃあない。

そういったキメキメの風体をしていると、人物観察に優れた百貨店やブティックの、いわゆる、お店(たな)者根性というひねくれた視点を待つ店員からは、その肩ひじ張った勇んだ心根を見透かされ、小ばかにされた挙句、絶好のカモとして恰好の餌食にされてしまうのです。

「(おっ、オバハンえらいイキッテもて、小鼻ふくらまして歩いとんで。ええカモや!よっしゃ一勝負かけてこましたろかい) いらっしゃいませ、あら―奥様、素晴らしい指輪で!」

 

ここで店員が使ったイキルという言葉。これは関西地方独特の下品なスラングでございますが、音声的にはイキに似ておりますが、まったく似て非なる違う意味合い。標準語に変換すれば、粋がって、とでも言いましょうか。無理して背伸びし、虚勢を張ってるサマという風な態度で、粋というより野暮に近いありさま。

成金などと呼ばれる社会階層の方々が、どんなもんじゃいとばかり、大粒ダイアその他大粒宝石をこれ見よがしにお着けあそばし、横柄な態度で店員に接するような行動はその代表的なパターンではないでしょうか。

 

さて、それでは粋なジュエリー、宝飾品とはどんなものかというのが、これからご紹介いたしますこちらのネックレス。

 

こちら全長70センチメートルの長めのネックレス。パステルカラーの色違いのセミプレシャスストーンをベゼルセッティングで留め、これをホワイトゴールドのマルアズキチェーンがステーションネックレスの体裁で繋ぐ、いたってシンプルな作り。

「なんや、アクセサリーみたいやん。ダイヤの飾りもないんかいな、折角の宝石やのに、こんなん値打ちあらへんやないの!」

 

そういう風に思うあなたは野暮な人。

もちろんこんな風なアクセサリーはいくらでもございます。しかももっと安価で。

そこを本物で装おうっていう心根が粋なんでございますよ。

無粋な人には分かりますまいが、本物には本物にしかないオーラってもんがございます。それを知ってこだわる人が粋な人、すなわち粋人てことになるのでございます。

このようなネックレスをさりげなくマーガレット・ハウエルの軽い素材のカジュアルなお召物にでも合わせて頂くと、もう一目で惚れちゃうね。

えっ、惚れいでエエ、爺さんお断り、迷惑てか?エライすまんの

 

掲載ページはこちら → https://item.rakuten.co.jp/douxperenoel/01003156/

 

 

 

 

苦しかった~

苦しかった~

こんにちわ~ガンです。

先日!何年ぶりかに「大腸内視鏡検査」をしました。

大腸内視鏡検査は恥ずかしいのは勿論の事!!その前に飲む下剤がキツイ(ToT)

1800mlを1時間30分かけて飲まないとだめなんですけど・・・・・・そんなに喉も乾いていないのに飲めない(>_<)
味は昔より随分美味しくなっているらしいけど・・・・・そんなに美味しくないし。。。。。。

ほんと苦しかったです。