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ハリー中野の宝石コラム

李香蘭がつけていたかも?ヒスイの腕輪

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三十年ほど昔、仕事で香港に居住しておりました事は今までにも幾度も申し上げております故、くどいとお叱りを受けるやも分りませんが、年寄りの繰言とご辛抱頂きお付き合い下さいませ。

さて、日本で言う終戦記念日はあちらでは戦勝記念日。テレビ、マスコミでは、日本軍の占領からの解放、勝利を祝う特番などが頻繁に流され、抗日運動をたたえる機運が最も盛り上がりを見せるのがこの時期。その期間、在留邦人のわたくしどもとしましては何やら肩身の狭い、居心地の悪い気分を味わったものでございます。。

なにせ、我々が出店しておりました、香港ペニンシュラホテルは日本統治時代には東亜ホテルと名前も改め、日本軍専用のホテルだった場所。何かにつけ当時のニュースフィルムで登場するわけで、どうもバツが悪い。それに加え、わたくしの祖父は帝国陸軍の軍人として中国に出征した経歴の持ち主。そんな事は向こうのスタッフなんかには口が裂けても言えません。

実際、大日本帝国は現在の中国東北地方に満州国なる、表向きは清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀を元首に据えて、中国人による独立国家の体を装った日本の傀儡国家をつくったのでございます。この経緯は巨匠、坂本龍一先生のテーマ曲でも有名な映画「ラストエンペラー」にも詳しく描かれているところでもございます。

さて、その映画で、俳優としも出演した坂本龍一が演じたのが、満州国、影の黒幕、甘粕正彦。

まだ、テレビなどというものが無かった当時、映画こそが娯楽の王様。これを利用して満州国民、しいては中国全土に日本の影響を与えんものと設立されたのが、満州映画協会、略して満映。いわゆる国策映画なる映画を通じてのプロパガンダ戦略の発信元。そして、この満映の理事長であったのが時の宰相、東条英機の教え子でもあった甘粕であったのです。彼が満映を通じ、中国全土を睨み、いったい何をもくろんでいたのかは今となってはまったくの謎として歴史の彼方に埋もれ果ててしまいました。

しかし満映が生んだスーパースターは、いまだに歴史に翻弄された美人女優として伝説の中に生きているのでございます。

その人の名は李香蘭。絶世の美貌と美しい歌声で当時、中国、日本を通じて絶大な人気を誇っていたのでございます。

その人気たるや現代のわれわれの想像を遥か超えて凄まじく、日本公演の開催会場となった日劇には、彼女を一目見んと集まった群衆が7周半取り囲み、消防車まで出動する騒ぎになったほどだとか。

さて、この李香蘭、名前だけ見るといかにもの華人なのですが、実は本名、山口淑子というれっきとした日本人。

中国で日本人の両親の元生まれ育ったがため、日中の完全なバイリンガル子女。映画デビューに際しては、満州、中国人の人気を獲得するために敢えて中国名の芸名を付けたのでございましょう。この作戦が功を奏したのか、はたまた彼女の本来備わっていたスター性の賜物か、日中両国で一挙にスターダムに昇りつめます。

しかし、突然悲劇が彼女を襲います。日本の第二次大戦の敗戦が彼女の運命を大きく狂わせるのです。

なんと彼女は中国人でありながら、日本のプロパガンダ戦略に加担した反逆者という罪で中国当局に捕えられ、銃殺刑に処せられる運命が待ち受けていたのであります。

この窮地を友人、知人等の助けを得てようやく日本人である事が証明され、九死に一生を得、国外追放という形で日本に帰国いたします。

もちろんこれだけの大スター、帰国後も山口淑子として銀幕で引きつづき活躍した後、テレビの司会、そしてなんと国会議員の先生にまで昇りつめ、94歳の天寿を全うされたのでございます。

 

彼女の波乱の生涯は何度かテレビドラマや舞台化されてまいりました。

1989年フジテレビ製作の「さようなら李香蘭」はその物語の最後、李香蘭の名前を捨てて、日本に帰国する場面。美人女優李香蘭を演じるには彼女をおいて他に無いと抜擢された沢口靖子演じる李香蘭こと山口さんが、引き揚げ船から通り過ぎて行く懐かしい上海の街を眺め、惜別の涙を流すシーンで終わります。

このシーン、バックに流れるのが、歌の上手さは日本一と評判の玉置浩二が歌う「行かないで」という曲。

この曲は後年、カヴァー曲として香港の人気歌手、張學友がなんと曲名もずばり「李香蘭」と変え、広東語に歌詞を置き換えて歌い大ヒットさせております。いまでもこの曲は中国語圏で様々な歌手がカヴァーするポピュラーソングの定番となっているそうでございます。

これにはきっと李香蘭という大スター、人気アイドルを戦争の終焉とともに突然失った、当時の中国の多くのファンのやるせない気持ちが込められているからではないのでしょうか

理由は明らか、日中の歌のタイトルを合わせれば「行かないで」「李香蘭」。

 

さて、今回ご紹介いたしますのはそんな世紀の大スター李香蘭が着けていたのではないかというくらいに時代がかった、かつまた、中国風な豪華なヒスイのバングルでございます。

こちら、なにせ金性の刻印がPM850とあります。今ならPt850と刻印するのが当たり前のところ。調べてみれば1960年あたりからPt表記変わったしいと言いますから、最低でも60年以上は前の物。ちょうど李香蘭が活躍していたのが約80年前ですから年代的にもピタリと一致。

この留め部分の細工なども、いまなら様々なスタイルの出来合いのクラスプ金具があり、そのバングルやブレスレットの形状に合わせ付け替えるのですが、こちらいかにもそういった物が一切無かった時代の職人さんの工夫といった感じ。そして地金部分に穿たれている花模様は手彫りの細工。そしてヒスイやダイアモンド使われている宝石の石留めが全部フクリン、ミル打ちの拵え。いやー、こりゃもう立派なアンティークでございますね。

だいたい戦前にこれだけ贅沢に本ヒスイを使い、ダイアモンドも一個が0.3キャラット以上はありそうな大きさのを2個。これは当時としてはかなりの大盤振舞の造り。

いったいどのような方がお着けあそばしておられたのでしょう?まさか、李香蘭その人がって事は万に一つもないでしょうが、ヒスイを愛してやまぬ華僑の奥様が、出入りの宝石商にでも命じてお造りになられたものではないのでしょうか?なにせ完全ハンドメイドの一点物、例え量産されてても、もう多分現存する片割れはない事でしょう。

この博物館クラスのアンティークのブレスレット、掘り出し品として秘蔵のコレクションにおひとつ加えて頂ければ幸いです。

ただし、かなりの年代物であります故、仕上げ研磨を施してはいるものの、取り切れていないキズ、イタミは商品の貫禄という事でご容赦くださいませ。

 

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